●北京原人【ペキンゲンジン】
デジタル大辞泉
ペキン‐げんじん【▽北▽京原人】
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世界大百科事典 第2版
ぺきんげんじん【北京原人】
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日本大百科全書(ニッポニカ)
北京原人
ぺきんげんじん
Peking man
中国、北京周口店出土の原人段階の化石人類の通称。学名はホモ・エレクトゥス・ペキネンシスHomo erectus pekinensis。シナントロプス・ペキネンシスはその旧学名。人類学史上一般に、重要な化石標本が発見されても、多くの問題点をはらみ、すんなりと承認されることは少ないが、北京原人は多くの学者の期待を受けながら発見された数少ない例といってよい。
1926年、中国の地質調査所所長として北京に滞在していたスウェーデンの地質学者アンダーソンJ. G. Andersonは、周口店において人類らしいものの歯を発見したと発表した。27年末から、カナダの解剖学者で北京協和医学院教授であったブラックDavid Blackが、ロックフェラー財団の援助のもとに発掘調査を開始した。その際ブラックは、先に発見されていた大臼歯(きゅうし)の持ち主をシナントロプス・ペキネンシスと命名した。29年末に中国の人類学者斐文中(はいぶんちゅう)が頭骨第1号を発見し、以後、頭骨6点を含む約40体分の原人骨格と149本の遊離した歯が発掘された。ブラックが急死した翌年の35年、ドイツ出身の人類学・解剖学の泰斗ワイデンライヒF.Weidenreichが彼の後任として迎えられた。37年、日中戦争が勃発(ぼっぱつ)して発掘調査が不便になり、41年、ついに戦火を避けて全標本をアメリカ合衆国に発送したが、その翌日に太平洋戦争が勃発し、標本のすべてが紛失してしまい、その行方は不明のままである。しかし、ワイデンライヒによる優れた模型標本が残されていたことは不幸中の幸いであった。大戦後に再開された発掘では、頭骨片や歯などの数点が発見されたにすぎない。
標本が発見されたのは石灰洞穴内の堆積(たいせき)物中からであるが、奇妙なことに、その大部分は頭骨と歯であり、四肢骨はわずかである。頭蓋(とうがい)容量は約900~1200ミリリットルで、眼窩(がんか)上隆起の発達が著しい。上顎(じょうがく)切歯の舌側面にみられるシャベル状のくぼみはモンゴロイド一般にみられる特徴であるため、北京原人をモンゴロイドの直系の祖先とする学者もいる。もう一つの代表的原人であるピテカントロプス(ジャワ原人)より進歩的とみられている。木炭や灰が伴出するので、火を使用したと考えられる。石器が随伴して発見されているが、東アジアに広く分布するチョッパー、チョッピング・トゥールとよばれるものである。生存した年代は第四紀更新世(洪積世)中期、約50万~20万年前と推定されている。
[香原志勢]
『松崎寿和著『北京原人――世紀の発見と失踪の謎』(1973・学生社)』▽『二宮淳一郎著『北京原人――その発見と失踪』(1991・新日本出版社・新日本新書)』
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精選版 日本国語大辞典
ペキン‐げんじん【北京原人】
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旺文社世界史事典 三訂版
北京原人
ペキンげんじん
Sinan-thropus-Pekinensis
1927年にD.ブラックにより命名された。約50万〜30万年前の人類で,ジャワ原人(ピテカントロプス−エレクトゥス)よりやや進化したものとされている。1928年,石器や骨器が発見されて道具の使用が判明し,木炭や灰の痕跡からすでに火を使っていたこともわかった。
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旺文社日本史事典 三訂版
北京原人
ペキンげんじん
1927年出土した大臼歯を人と類人猿の中間型とし,カナダの学者ブラックが「シナントロプス‐ペキネンシス」と命名。打製石器・骨角器を用い,火を使用した。更新世中期に比定され,その後も多くの人骨が出土した。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
北京原人
ペキンげんじん
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