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北京【ペキン】

デジタル大辞泉

ペキン【北京】
中華人民共和国首都華北平原の北部に位置し、中央政府直轄市。の都として繁栄。明代になって北京となり、1928~1938年は国民政府が成立して北平(ペイピン)とよばれた。旧内城中心の紫禁城故宮博物院となり、その南に人民大会堂天安門広場がある。人口、行政区1151万(2000)。ペイチン

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編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
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ほっ‐きょう〔ホクキヤウ〕【北京】
北都」に同じ。

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デジタル大辞泉プラス

北京
ポピー製紙が販売するちり紙の商品名。古紙を使用。ソフトタイプ、700枚入り。

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世界大百科事典 第2版

ペキン【北京 Běi jīng】
中華人民共和国の首都。中国共産党中央委員会の所在地。上海,天津とともに国の直轄市で,10市轄区8県を管轄する。燕京,北平ともいわれた。面積1万6800km2,人口1259万(1996)。華北平原北端河北省の中部北寄りに位置する。華北地区と東北地区とを結ぶ要点に当たり,西には西山(太行山脈の東北への延長部分),東に燕山,北西には軍都山(南口山脈ともいう)の諸山脈が連なり,南東には永定河と潮白河の両水系による沖積平野が開けている。

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Copyright (c) Heibonsha Limited, Publishers, Tokyo. All rights reserved.

ほくきょう【北京】

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大辞林 第三版

ペキン【北京】
中華人民共和国の首都。華北平原の北西端に位置する。政府直轄市。典型的な城郭都市で、内城と外城の二部からなる。春秋戦国時代、燕の国都となり、金(燕京)・元(大都)・明・清などの都として繁栄。明代に北京と称するようになり、1928年から38年まで一時北平ペーピンといわれた。紫禁城・頤和いわ園など史跡・名勝が多い。鉄鋼・機械・織物・食品工業などが発達。ペイチン。

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ほっきょう【北京】
(奈良を南京と呼ぶのに対して)京都のこと。 -には我禅上人入宋につそうして/正統記 嵯峨

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日本大百科全書(ニッポニカ)

北京
ぺきん / ペイチン
中国の首都。国の直轄市。華北(かほく)平原の北端、東北、蒙古(もうこ)高原と華北を結ぶ要地に位置する。面積1万6411平方キロメートル、人口2126万9000(2016)。16市轄区(東城区、西城区、海淀(かいてい)区、朝陽区、豊台区、門頭溝(もんとうこう)区、石景山(せきけいざん)区、房山(ぼうざん)区、順義(じゅんぎ)区、通州(つうしゅう)区、昌平(しょうへい)区、延慶(えんけい)区、懐柔(かいじゅう)区、密雲(みつうん)区、平谷(へいこく)区、大興(だいこう)区)よりなり、その範囲には長城以北の地域も含まれている。なお、北京旧城の範囲は、内城東半部を占める東城区、西半部を占める西城区の2城区で、これを取り巻いて14郊区がある。[船越昭生]

自然

北京の地形は北西に高く、南東に低く、北部、西部を山地で囲まれ、渤海(ぼっかい)に向かって平原が広がる。西部の山地は太行(たいこう)山脈の一支脈である西山(せいざん)で、北部は燕山(えんざん)山脈に属する軍都山(ぐんとさん)である。ともに標高400~1500メートル程度の山地で、まれに2000メートルを超える山もみられる。北京の河川は、海河(かいが)の支流で北西から南東に流れる永定河(えいていが)と南流する潮白河(ちょうはくが)の2河川が重要で、旧北京城は両河の間、永定河の沖積扇状地上につくられている。気候は、冬は寒冷で乾燥し、夏は暑熱で多雨となる。1月の平均気温は零下2.9℃、7月の平均気温は26.9℃、年降水量は542.7ミリメートルで、降水の大部分は夏に集中する。[船越昭生]

市街

新中国成立以来、北京の都市建設は急速に発展し、新築の建物が急増し、著しく市街地が拡大している。旧城壁は撤去され、幅が40~100メートルに拡張された長安街は旧城外へ東西に延長され40キロメートルに及ぶ。その中心の天安門付近は50万人を収容できる大広場として整備され、人民大会堂、中国歴史博物館、中国革命博物館などが建設されて面目を一新した。中国歴史博物館と中国革命博物館は2003年に統合されて、中国国家博物館となっている。この付近は中央官庁地区であるが、西郊へ新庁舎の建設が進み、北西郊に広がる文教地区とともに著しい変化を示している。また、東郊から南郊にかけては工業地帯として大発展を遂げた。さらに、これらの地域を貫いて旧城内を取り巻く大環状路がつくられており、宮城都市から近代都市へ、消費都市から生産都市へと性格を変えた。[船越昭生]

産業

工業は、工作機械、農業機械、鉄道車両、自動車、電気・電子機器、合成繊維、プラスチックなどの重化学工業、および綿紡績、羊毛紡績、食品、医薬、印刷、製紙などの軽工業が立地している。西山には豊富な無煙炭が埋蔵され、門頭溝区における出炭の機械化によって急激に産出量が増加している。また南郊には長辛店(ちょうしんてん)汽車工場のほか農業機械、橋梁(きょうりょう)、自動車部品などの工場があり、東郊では国立綿紡績工場などが操業している。伝統工業では景泰藍(けいたいらん)(七宝(しっぽう)焼)、玉器、象牙(ぞうげ)彫刻、漆器など古来の精緻(せいち)な工芸品がある。北京の水利は、永定河上流の三家口から直接北京城内に引水されるものと、北方の潮白河上流地域の密雲、懐柔ダムや十三陵ダムなどの多目的ダムによるものとがある。これらによって洪水の防止や農業・工業用水、上水道の水源確保など水の安定した供給が可能となっている。近郊では野菜や果樹栽培などが急速に増え、水田の造成、アヒルや乳牛の飼養も大規模化している。[船越昭生]

交通

北京は全国鉄道網の大中心をなし、京広線、京哈(けいは)線、京包線(北京―パオトウ)、京承線(北京―承徳(しょうとく))、京滬(けいこ)線、京九線などの鉄道が全国各地と連絡する。北京北東30キロメートルの順義区には北京首都国際空港があり、国内の主要都市のほか、国際線によって世界各地と連絡する。市内の交通はおもにバスとトロリーバスで、道路、緑地も整備されている。また、1970年に北京駅―蘋果園(ひんかえん)間の地下鉄が開通し、1984年には長椿街でこれと相互乗り入れする環状線が完成した。地下鉄は2018年時点で22路線がある。[船越昭生]

文化・観光

国内でもっとも重要な学術、文化の中心で、中国科学院や中国社会科学院の各研究所をはじめとする各種研究機関や、北京大学、清華大学、北京師範大学、北京人民大学、中央民族大学など多くの高等教育機関があり、西郊文教地区の中心には科学大会堂など学術会議場も設けられている。文化施設に前述の中国国家博物館のほか、中国国家図書館、労働人民文化宮、中国人民革命軍事博物館、北京展覧館、農業展覧館、北京動物園などがあり、北京工人体育場、首都体育館、北京国家体育館などのスポーツ施設も整備されている。2008年には夏季オリンピックが開催され、2022年には冬季オリンピックの開催が予定されている。
 歴史的都市北京には古跡、名勝が数多く存在する。旧内城の中心、紫禁城(しきんじょう)は明(みん)・清(しん)代の皇宮で、故宮博物院として一般に公開されている。南門(午門)の外には太廟(現在の労働人民文化宮)、社稷壇(しゃしょくだん)(現在の中山(ちゅうざん)公園)が相対していて、その南に紫禁城を含む皇城全体の正門である天安門がある。故宮西隣の北海、中海、南海は北方の什刹海(じゅうさつかい)に続く池で、皇城の庭園としてつくられた。北海は、故宮の北の景山とともに公園となり一般に開放されている。旧外城の東部には明・清代の祭場である天壇(てんだん)がある。また紫禁城北門の地安門外にある鐘楼(しょうろう)、鼓楼(ころう)は元(げん)代の大都の中心とされている。旧城壁内北東には国子監(こくしかん)(現、首都図書館)、孔子廟(こうしびょう)とチベット仏教(ラマ教)寺院の雍和宮(ようわきゅう)などがある。西郊には頤和園(いわえん)、玉泉山、碧雲寺(へきうんじ)、臥仏寺(がぶつじ)や西山八大処など名勝が多い。南西郊の永定河の渡河点に盧溝橋(ろこうきょう)がある。金朝時代につくられた大理石の美しい橋で、マルコ・ポーロが『東方見聞録』で紹介したことから、欧米ではマルコ・ポーロ橋とよばれる。1937年(昭和12)同橋付近で起こった日・中両軍の衝突により日中戦争が始まった。また、南西約50キロメートルの周口店(しゅうこうてん)は、有名な北京原人の化石出土地で、発掘場所の竜骨山には展覧館が設けられており、北京原人の文化や進化過程をみることができる。北北西約50キロメートルには、明の皇帝の陵墓十三陵があり、その西方が古来モンゴル高原に通じる重要な関門として有名な居庸関(きょようかん)や八達嶺(はったつれい)で、八達嶺からは万里の長城を見学できる。[船越昭生]

歴史

戦国時代は燕(えん)の首都薊(けい)。秦(しん)以後の薊県、唐の薊県・幽都(ゆうと)県、遼(りょう)・宋(そう)の析津(せきしん)・宛平の2県、金以後の大興・宛平の2県、中華民国17年(1928)以後の北京市(北平市)にあたる。この間、秦の上谷郡、漢の燕国、広陽郡または広陽国、後漢(ごかん)の上谷郡または幽州広陽郡、魏(ぎ)・晋(しん)・北朝の幽州燕国、隋(ずい)(たく)郡、唐の幽州范陽(はんよう)郡、遼の南京析津府、宋の燕山府または広陽郡、金の燕京析津府または中都大興府、元の燕京路または大都路、明の北平府または北京順天府、清の北京順天府の首邑(しゅゆう)となった。古来、天府の地といわれ、すでに周の武王が功臣の召公(しょうこうせき)をここに封じてから、邯鄲(かんたん)、曲阜(きょくふ)と並んでよく知られ、その子孫が43世800年間も続いたと伝える。秦の末期、項羽は臧荼(ぞうと)をここに燕王として封じ、漢の高祖劉邦(りゅうほう)もその子建を燕王に封じ、魏はここに燕都を営み、五胡(ごこ)時代の前燕はここに都して碣石(けっせき)宮を建てるなど、北方の異民族を防ぐ最大の拠点となった。隋代には高句麗(こうくり)の征討、唐代には契丹(きったん)防衛の要地とし、玄宗は寵臣(ちょうしん)安禄山(あんろくざん)を節度使に任じて重兵を駐せしめ、のちに安史の乱の基地となった。
 五代の後晋(こうしん)のとき、燕雲(えんうん)十六州の一として契丹(遼)の領域となり、遼は936年に国都とした。宋は、その奪還を企てたが成功せず、かえって1125年、遼を滅ぼした女真(じょしん)(金)に占領された。金は中都城を築いて遷都し、遼代の都城を2倍に拡張し、宋を圧して繁栄した。1215年モンゴル(元)はこれを陥れ、1263年遷都して大都城を築いた。それは金の中都城の北東方、後の北京城のほぼ内城の部分で、モンゴル人はカンバリクKhan-balik(可汗(かがん)の城)とよび、マルコ・ポーロなどヨーロッパ人もカンバリク、またはタイズーTaidu(大都)といった。当時は、ユーラシアにまたがる大帝国の首都として内外水陸交通の中心であり、人口も100万を擁し、公娼(こうしょう)だけでも2万5000人、毎日1000の馬車が内外の珍貨を運び、城外にも宏壮(こうそう)建築が並んだという。明代には、初めモンゴル防衛の拠点として、太祖朱元璋(しゅげんしょう)が第4子燕王棣(てい)に大兵を授けて駐留させ、燕王が即位(永楽帝)すると、1421年、南京(ナンキン)から遷都して北京と改称し、豪壮雄大な城郭を築いた。初め周囲約40華里(1華里は約322メートル)の内城を、1553年約28華里の南面外城を築き、数十万の人口を擁し、江南に通ずる大運河によって経済的基盤を固め、首都として繁栄した。1644年ここを攻陥した清も、そのまま受け継いで首都とし、おもに内城には満州(女真)人、外城には漢人その他を住まわせた。ヨーロッパ人は内城をタタール・シティTatar city、外城をチャイニーズ・シティChinese cityとよぶ。清末のアロー戦争後、1860年イギリス・フランス連合軍の侵略を受け、北京条約を結んで各国公使館が設けられることとなった。1900年には義和団事件のため日・英など八か国連合軍に攻略され、中華民国時代には北洋軍閥の拠点、保守派の金城となり、革命勢力の基地広東(カントン)・南京と対立し、内外政治の葛藤(かっとう)の場となった。日中戦争のときは支那(しな)駐屯軍総司令部が置かれ、日本の中国侵略の拠点となった。[星 斌夫]
『陳舜臣著『北京の旅』(1978・平凡社) ▽繭山康彦著『北京の史蹟』(1979・平凡社) ▽田所竹彦著『北京そぞろある記』(1984・朝日新聞社) ▽中国人民美術出版社・講談社編『新・中国の旅 1 北京とその周辺』(1985・講談社) ▽大阪市立大学経済研究所監修『アジアの大都市5 北京・上海』(2002・日本評論社) ▽北井一夫著『1990年代北京』(2004・冬青社)』

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精選版 日本国語大辞典

ペキン【北京】
中華人民共和国の首都。華北平原の北部にある。遼の副都南京、金の中都燕京、元の首都大都を経て、明・清時代に北京と呼ばれた。一九二八年中華民国の南京遷都により北平(ペーピン)と称し、四九年再び北京に改称。明・清の皇城の紫禁城を中心に内城、その南側に外城があり、碁盤目の街路で区切られている。ペイチン。

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ほっ‐きょう ホクキャウ【北京】
京都の別称。奈良を南京と呼ぶのに対していう。北都。
※高野本平家(13C前)一「北京(ホッキャウ)には興福寺にむかへて」

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旺文社世界史事典 三訂版

北京
ペキン
Běijīng
中国河北省の中部にある同国の首都
古来,華北の要地で,春秋戦国時代には燕の都として薊 (けい) と呼ばれ,金によって中都が置かれた。のち,元のフビライも都に定めて大都と称し,モンゴル語でカンバリクハンの都)と呼ばれた。明代に北京と改称され,現在の城壁も築かれた。清朝もここを都とし,中華民国になって,1928年北伐の完成により,都が南京に移ると北平 (ペーピン) と呼ばれた。1949年中華人民共和国の成立とともに首都となる。

出典:旺文社世界史事典 三訂版
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

北京
ペキン
ペキン(北京)直轄市」のページをご覧ください

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