●北朝【ほくちょう】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
北朝
ほくちょう
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デジタル大辞泉
ほく‐ちょう〔‐テウ〕【北朝】


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世界大百科事典 第2版
ほくちょう【北朝】
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ほくちょう【北朝 Běi cháo】
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日本大百科全書(ニッポニカ)
北朝
ほくちょう
南北朝時代、京にあった持明院統(じみょういんとう)の朝廷。大和国吉野などに拠った大覚寺統(だいかくじとう)の南朝に対していう。建武政権が崩壊した1336年(建武3・延元1)、光厳上皇(こうごんじょうこう)の院宣を奉じて入京した足利尊氏に逐われた後醍醐天皇が京を脱出したのち、光厳院政のもとで光明天皇(こうみょうてんのう)が践祚(せんそ)して成立し、以後、崇光(すこう)・後光厳・後円融(ごえんゆう)・後小松(ごこまつ)の各天皇が皇位を継いだ。鎌倉末期に皇位に即きながら後醍醐天皇の復位によって廃位された光厳天皇を初代として算入し、後小松まで6代を数えることがある。北朝は、南北朝時代をほぼ一貫して京にあって公事(くじ)の再興を担ったが、当時南朝方に与する勢力を宮方とよんだのに対して北朝方を武家方とよぶことがあったように、武家(足利氏)に支えられて存立し、この間に公家と武家の緊密な連携体制が構築される。1392年(明徳3・元中9)に「三種の神器」が南朝後亀山天皇(ごかめやまてんのう)から北朝後小松天皇へ渡されて両朝の合一が成り、爾後皇位は持明院統に継承されて当代にまで連なる。ただし、明治天皇の勅裁により南朝が正統とされてのち、現在では後小松を除き歴代数に算入されていない。
[新田一郎]
『田中義成著『南北朝時代史』(1979・講談社学術文庫)』
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ほく‐ちょう ‥テウ【北朝】
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旺文社日本史事典 三訂版
北朝
ほくちょう
光明・崇光 (すこう) ・後光厳・後円融・後小松の5代の天皇が続き,後小松天皇のとき,1392年南北朝合体が行われ,南朝の後亀山天皇より神器をうけた。以後北朝が皇位を継承して現在に至る。
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