●北条政子【ほうじょうまさこ】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
北条政子
ほうじょうまさこ
[没]嘉禄1(1225).7.11. 鎌倉
鎌倉幕府初代将軍,源頼朝の妻。北条時政の長女。治承1 (1177) 年伊豆に配流中の頼朝と結ばれ,大姫,頼家,乙姫,実朝を生んだ。夫の幕府創設を助け,正治1 (99) 年頼朝の死後尼となったが,実家北条氏と結んで幕政を左右した。まず頼家の親裁を止め,建仁3 (1203) 年頼家を廃して実朝を将軍に立て,元久2 (05) 年には時政の後妻牧の方の陰謀を押え,建保7 (19) 年実朝が暗殺されると,京都から九条頼経を将軍に迎え,みずから後見となって幕政を裁断,「尼将軍」といわれた。承久の乱のとき,御家人たちを集めて幕府の恩をさとしきかせ,彼らの動揺を押えて忠誠を誓わせた。
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デジタル大辞泉
ほうじょう‐まさこ〔ホウデウ‐〕【北条政子】



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デジタル版 日本人名大辞典+Plus
北条政子 ほうじょう-まさこ
保元(ほうげん)2年生まれ。北条時政の娘。伊豆(いず)配流中の頼朝と結婚,源頼家・実朝と2女を生む。頼朝の死後尼となり幕政にかかわる。3代将軍実朝の死後は九条頼経(よりつね)を4代将軍にむかえ,政務を後見。尼将軍と称される。承久(じょうきゅう)の乱では御家人(ごけにん)の結束をうながし,幕府の基礎をかためた。嘉禄(かろく)元年7月11日死去。69歳。
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世界大百科事典 第2版
ほうじょうまさこ【北条政子】
鎌倉前期の政治家。伊豆の武士,北条時政の娘。平治の乱(1159)後,源頼朝が伊豆に流されていたおり,その妻となった。1180年(治承4)8月,頼朝が挙兵した際,政子は一時伊豆山に潜んでいたが,10月には頼朝に迎えられて鎌倉に入った。82年(寿永1)に長男頼家,92年(建久3)に次男実朝を産み,ほかに2人の娘がいる。95年頼朝が東大寺供養に上洛した際,政子は子どもたちとともに同行し,京都で丹後局(高階栄子)らと対面した。
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日本大百科全書(ニッポニカ)
北条政子
ほうじょうまさこ
(1157―1225)
鎌倉前期の政治家。時政(ときまさ)の女(むすめ)、源頼朝(よりとも)の妻。2代将軍頼家(よりいえ)、3代将軍実朝(さねとも)の母。伊豆配流中の頼朝と結婚、石橋山の戦いのときは伊豆に隠れていたが、まもなく鎌倉に迎えられた。1182年(寿永1)には頼家を、92年(建久3)には実朝を生んだ。3年後頼朝に従って上京し、長女の大姫入内(おおひめのじゅだい)を意図して、朝廷の実力者丹後局(たんごのつぼね)と面談した。しかしこれは大姫の死によって実現しなかった。頼朝の死(1199)後、尼となり、大江広元(おおえのひろもと)、父時政らの元老重臣の合議制政治を推し進め、頼家の独裁を抑えた。頼家重病に際し、父と謀って頼家を廃して実朝を将軍とした。1205年(元久2)時政が後妻牧方(まきのかた)とともに将軍廃立を謀ったため、弟義時(よしとき)と相談して実朝を守り、父を伊豆へ送った。義時執権時代を通じてつねに政務の中心にあった。18年(建保6)の上京の際、出家の身で従三位(じゅさんみ)に叙せられた。続いて二位に進み、「二位家」と称された。実朝の死後、鎌倉殿の任務を代行、やがて藤原将軍を迎えた。承久(じょうきゅう)の乱(1221)に際して、幕府の恩を説いて東国武士を京に攻め上らせた話は有名である。義時急死後、伊賀(いが)氏の陰謀を抑え、甥泰時(おいやすとき)(義時の子)を執権とし、政子は「尼(あま)将軍」として敬重された。嘉禄(かろく)元年7月11日病死。
[田辺久子]
『渡辺保著『北条政子』(1961・吉川弘文館)』
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精選版 日本国語大辞典
ほうじょう‐まさこ【北条政子】
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旺文社日本史事典 三訂版
北条政子
ほうじょうまさこ
鎌倉初期,源頼朝の妻。北条時政の娘
伊豆配流中の頼朝と結婚し,頼家・実朝を生む。頼朝の死後,父時政・弟義時とともに幕府政治を掌握。牧氏の陰謀(実朝を廃して,時政の女婿平賀朝雅 (ともまさ) を将軍に立てようとしたもの)を察知して時政を隠退させ,実朝死後は4代将軍として京都から九条頼経を迎え,みずから後見人となる。「尼将軍」といわれ,承久の乱(1221)に際しては御家人の動揺を抑えて幕府の危機を救う役目を果たした。
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