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北条時政【ほうじょうときまさ】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

北条時政
ほうじょうときまさ
[生]保延4(1138).伊豆
[没]建保3(1215).1.6. 伊豆
鎌倉幕府の初代執権 (在職 1203~05) 。通称は四郎。法名は明盛。父は時方。母は伊豆掾伴為房の娘。伊豆国北条 (現在の静岡県田方郡) の出身。娘政子は源頼朝の妻。治承4 (1180) 年8月頼朝挙兵の最初から頼朝に従ってをあげた。同月の相模国石橋山の敗戦では逃走の途中で子宗時を殺されたが,次子義時とともに海路安房国に逃れて頼朝の到着を迎えた。文治1 (85) 年義経追捕のため上洛,その際朝廷に強要して守護,地頭設置の許可を得た。正治2 (1200) 年4月従五位下,遠江守。建仁3 (03) 年9月比企能員を殺して2代将軍頼家を廃し,その弟実朝を将軍とし,みずからは執権となった。元久2 (05) 年閏7月女婿平賀朝雅を将軍に擁立しようとしたが失敗し,落飾して伊豆北条に退隠。

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デジタル大辞泉

ほうじょう‐ときまさ〔ホウデウ‐〕【北条時政】
[1138~1215]鎌倉幕府初代執権。在職1203~1205。源頼朝の妻政子の父。通称四郎。頼朝の挙を助け、鎌倉幕府創業に貢献。頼朝死後、2代将軍頼家殺して実朝を擁立、初代執権として幕政実権を握ったが、のち、実朝を除く計画が失敗して引退した。

出典:小学館
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

北条時政 ほうじょう-ときまさ
1138-1215 平安後期-鎌倉時代の武将。
保延(ほうえん)4年生まれ。北条政子の父。鎌倉幕府初代執権。政子と結婚した源頼朝の挙兵をたすけて幕府創設に寄与。文治(ぶんじ)元年京都で守護・地頭設置の勅許をえる。頼朝の死後,2代将軍源頼家を廃して源実朝(さねとも)を擁立し実権をにぎる。さらに後妻牧の方の娘婿平賀朝雅を将軍にしようとして失敗,伊豆(いず)に退隠した。建保(けんぽ)3年1月6日死去。78歳。通称は四郎。法名は明盛。
【格言など】弓矢取(とる)身は言(こと)ば一(ひとつ)も輙(たやす)からず,生(いき)ても死(しし)ても名こそ惜けれ(「源平盛衰記」)

出典:講談社
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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版

ほうじょうときまさ【北条時政】
1138‐1215(保延4‐建保3)
鎌倉幕府の初代執権。時方の子。母は伊豆掾伴為房の娘。伊豆国北条(,静岡県韮山町)を本拠とする在庁官人で,北条四郎と称した。源頼朝が伊豆に流されていたとき,娘の北条政子が頼朝の妻となるのを許した。1180年(治承4)頼朝が平氏打倒の兵を挙げるとこれを助け,まず伊豆の目代山木兼隆(やまきかねたか)を討った。しかし相模の石橋山の戦には敗れて安房に逃れた。ついで頼朝の命を受けて甲斐に赴き,同国の武田信義らを味方につけ,甲斐,信濃の源氏を伴って頼朝の本隊に合流し,駿河の富士川の戦で平維盛の東征軍を敗走させた。

出典:株式会社平凡社
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日本大百科全書(ニッポニカ)

北条時政
ほうじょうときまさ
(1138―1215)

鎌倉幕府初代執権。時方(ときかた)の子。母は伊豆掾(いずのじょう)伴為房(とものためふさ)の女(むすめ)。伊豆国府(こくふ)の役人として北条に住し、北条四郎と称した。法名明盛(めいせい)。流人源頼朝(よりとも)を監視する役目であった時政は、ひそかに頼朝と通じ、女政子(まさこ)を彼に配し、1180年(治承4)伊豆目代(もくだい)山木兼隆(やまきかねたか)を急襲して、頼朝の源家再興の旗揚げを助けた。以後頼朝に従って富士川などの諸戦に活躍し、信頼を得た。85年(文治1)頼朝の代官として、義経(よしつね)追討のため大軍を率いて上京、守護(しゅご)・地頭(じとう)の設置を朝廷に認めさせた。1200年(正治2)従(じゅ)五位下遠江守(とおとうみのかみ)に任ぜられる。頼朝の没後、比企(ひき)氏を後ろ盾に独裁化をねらう2代将軍頼家(よりいえ)に対して、重臣合議制でこれを抑制した。03年(建仁3)比企一族を滅ぼし、実朝(さねとも)を擁立、大江広元(おおえのひろもと)とともに政所別当(まんどころべっとう)となり、幕府の実権を握った。05年(元久2)平賀朝雅(ひらがともまさ)の讒言(ざんげん)により畠山重忠(はたけやましげただ)を殺害、さらに後妻牧方(まきのかた)と謀って将軍廃立を企てたが発覚、政子らによって幕府から追放された。出家し、伊豆に送られ、10年後の建保(けんぽう)3年正月6日北条で没した。

[田辺久子]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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精選版 日本国語大辞典

ほうじょう‐ときまさ【北条時政】
鎌倉幕府初代執権。時方の子。源頼朝に娘政子をとつがせ頼朝の挙兵をたすけて幕府創設に貢献した。頼朝死後、頼家と比企能員を圧迫、謀殺して実朝を将軍に擁立、執権として幕政の実権を掌握したが、実朝を除く計画が失敗して隠退した。保延四~建保三年(一一三八‐一二一五

出典:精選版 日本国語大辞典
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旺文社日本史事典 三訂版

北条時政
ほうじょうときまさ
1138〜1215
鎌倉幕府創業の功臣で,初代執権(在職1203〜05)
時方の子。伊豆の住人。流人であった源頼朝を助けて幕府創立に尽くす。娘政子を頼朝に配し外戚として勢威をふるった。頼朝の死後,2代将軍頼家を謀殺し実朝を擁立。政治的実権を握り執権と称す。1205年後妻牧ノ方の陰謀事件(実朝を廃して,時政の女婿平賀朝雅 (ともまさ) を将軍に立てようとしたもの)に関係して隠退し出家した。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
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