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北条時行【ほうじょうときゆき】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

北条時行
ほうじょうときゆき
[生]?
[没]正平8=文和2(1353).5.20. 鎌倉
鎌倉時代末期,南北朝時代初期の武将。鎌倉幕府の執権高時の子。通称は相模二郎。鎌倉幕府が滅亡したとき,信濃の諏訪氏のもとに逃れ,建武2 (1335) 年京都の西園寺氏とはかって兵を起し,足利直義の軍を破って鎌倉を占領。一時北条氏を復興したが,足利尊氏に敗れた。のち南朝に投じて,北畠顕家,新田義興らに従い,鎌倉に攻め入ったが,義興が敗れると,足利氏に捕えられ殺された。 (→中先代の乱 )  

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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デジタル大辞泉

ほうじょう‐ときゆき〔ホウデウ‐〕【北条時行】
[?~1353]南北朝時代武将高時の子。鎌倉幕府の滅亡後、信濃にのがれ、建武政権に抗して挙兵。一時鎌倉を回復したが、足利尊氏に敗れた(中先代の乱)。のち、南朝に属して新田義興らに従い、再度鎌倉を占領したが、敗れて斬られた。

出典:小学館
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

北条時行 ほうじょう-ときゆき
?-1353 南北朝時代の武将。
北条高時の次男。鎌倉幕府滅亡の際,信濃(しなの)(長野県)の諏訪頼重のもとにのがれる。建武(けんむ)2年信濃で頼重らと挙兵,鎌倉を奪還したが,足利尊氏に敗れて逃走(中先代(なかせんだい)の)。のち南朝に帰順。観応(かんのう)3=正平(しょうへい)7年新田義興(よしおき)とふたたび鎌倉を一時占拠したが尊氏に敗れて捕らえられ,翌年5月20日処刑された。通称は相模次(二)郎。

出典:講談社
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版

ほうじょうときゆき【北条時行】
?‐1353(正平8∥文和2)
南北朝初期の武将。高時の次男。1333年(元弘3)鎌倉幕府滅亡のとき,鎌倉を脱出し信濃の諏訪頼重のもとに隠れる。35年(建武2)西園寺公宗と通じて挙兵。足利直義軍を破って鎌倉を占領したが,東下した足利尊氏軍に敗れた(中先代の乱)。37年南朝に帰順し,西上する北畠顕家軍に従軍する。52年観応の擾乱(じようらん)に乗じて鎌倉を占拠したが捕らえられ,翌年5月殺された。【青山 幹哉】

出典:株式会社平凡社
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日本大百科全書(ニッポニカ)

北条時行
ほうじょうときゆき
(?―1353)

鎌倉末~南北朝期の武将。第14代執権北条高時(たかとき)の次男。幼名亀寿丸(かめじゅまる)。通称相模(さがみ)次郎。鎌倉幕府滅亡(1333年5月)の際、信濃諏訪(しなのすわ)氏にかくまわれたが、京都の西園寺公宗(さいおんじきんむね)、北条泰家(やすいえ)らと通謀、1335年(建武2)7月信濃で挙兵。足利直義(あしかがただよし)を破り、鎌倉を奪還したが、翌8月足利尊氏(たかうじ)に敗れて逃走した(中先代(なかせんだい)の乱)。38年(延元3・暦応1)朝敵赦免の綸旨(りんじ)を得て、西上する北畠顕家(きたばたけあきいえ)軍に参加、美濃青野原(みのあおのがはら)で足利方を破った。52年(正平7・文和1)閏(うるう)2月、尊氏と直義らの争いに乗じ、新田義宗(にったよしむね)・義興(よしおき)兄弟が挙兵。時行もこれに参加し、ふたたび鎌倉を奪還。しかし、やがて捕らえられ、翌年5月鎌倉竜ノ口(たつのくち)にて斬殺(ざんさつ)された。

[奥富敬之]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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精選版 日本国語大辞典

ほうじょう‐ときゆき【北条時行】
鎌倉末期から南北朝時代の武将。高時の子。通称相模二郎。鎌倉幕府滅亡の際、信濃の諏訪頼重のもとに逃れ、建武二年(一三三五)鎌倉残党五万余を集め挙兵。足利直義を破り、一時鎌倉を回復したが、足利尊氏に敗れた。これを中先代の乱という。後、南朝に属し、再度鎌倉を占領したが、新田義興の敗北で捕えられ斬殺された。文和二=正平八年(一三五三)没。

出典:精選版 日本国語大辞典
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旺文社日本史事典 三訂版

北条時行
ほうじょうときゆき
?〜1353
鎌倉末期〜南北朝初期の武将
高時の子。鎌倉幕府滅亡のとき信濃国(長野県)にのがれていたが,1335年京都の西園寺公宗 (きんむね) と通謀して中先代の乱をおこす。足利直義 (ただよし) の軍を破って鎌倉を占領したが,足利尊氏に敗れた。のち南朝の新田義興に従ったが,捕らえられて斬られた。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
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