●北洋軍閥【ほくようぐんばつ】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
北洋軍閥
ほくようぐんばつ
Bei-yang jun-fa; Pei-yang chün-fa
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デジタル大辞泉
ほくよう‐ぐんばつ〔ホクヤウ‐〕【北洋軍閥】
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世界大百科事典 第2版
ほくようぐんばつ【北洋軍閥 běi yáng jūn fá】
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日本大百科全書(ニッポニカ)
北洋軍閥
ほくようぐんばつ
中華民国初期、袁世凱(えんせいがい)を源流とし、北京(ペキン)政権を形成した軍閥の総称。その政府を北洋政府、その時代(1913~28)を北洋時代ともいう。日清(にっしん)戦争(1894~95)の敗北後、袁世凱によって育成された北洋新軍が北洋軍閥の基盤となった。1911年の辛亥(しんがい)革命の成果を奪い、第二革命(1913)の武力弾圧による袁の独裁化に伴って北洋派の支配が確立された。袁の死(1916)後、北洋軍閥は直隷(ちょくれい)派、安徽(あんき)派に分裂し、それに北洋の傍系である奉天(ほうてん)派の三派を主軸に対立、抗争を深めていった。軍閥相互の勢力関係の変転は、帝国主義列強相互の利害対立抗争を反映したもので、国際政治の変動と密接に関係していた。軍閥の財政基盤は、外国の借款と農民からの収奪にあった。26年に始まる国民革命軍の北伐により北洋派は事実上崩壊した。
[南里知樹]
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精選版 日本国語大辞典
ほくよう‐ぐんばつ ホクヤウ‥【北洋軍閥】
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旺文社世界史事典 三訂版
北洋軍閥
ほくようぐんばつ
1895年袁世凱 (えんせいがい) が天津で編成した新軍を基盤に成立し,袁世凱が直隷総督兼北洋大臣としてこれを管轄するに及んで北洋軍閥の基礎が確立した。袁はこの軍事力を背景に,中華民国の初代大総統となった。袁の死後,部下の段祺瑞 (だんきずい) の安徽派 (あんきは) ,馮国璋 (ふうこくしよう) ・曹錕 (そうこん) ・呉佩孚 (ごはいふ) らの直隷派および傍系的存在である張作霖の奉天派に分裂し,それぞれ列強の支援を受けながら争った。
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