●北畠氏【きたばたけうじ】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
北畠氏
きたばたけうじ
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世界大百科事典 第2版
きたばたけうじ【北畠氏】
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日本大百科全書(ニッポニカ)
北畠氏
きたばたけうじ
鎌倉・南北朝時代の公卿(くぎょう)。姉小路(あねがこうじ)氏(飛騨(ひだ))、一条家(土佐)と並んで三国司家といわれた。村上源氏の流れで、5代源通親(みなもとのみちちか)の孫中院雅家(なかのいんまさいえ)が、京都の居住地によって北畠を家名とした。その曽孫(そうそん)親房(ちかふさ)は後醍醐天皇(ごだいごてんのう)に重用されて大いに家名をあげ、親房の子顕家(あきいえ)とともに南北朝時代に南朝の重臣として活躍し、親房は後村上天皇(ごむらかみてんのう)から准后(じゅごう)の宣を受けた。親房の子顕能(あきよし)は南朝から伊勢(いせ)国司に任じられ、一志(いちし)郡多気城(たげじょう)を築いて南朝方として活躍し、以後子孫は伊勢国司を世襲した。顕能の孫満雅(みつまさ)は、1428年(正長1)南朝の後胤(こういん)小倉宮(おぐらのみや)を奉じて挙兵し、敗死している。大河内(おおかわち)氏など一族も伊勢国内に多く、戦国末期まで勢力を維持したが、1576年(天正4)織田信長に滅ぼされた。
[熱田 公]
出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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旺文社日本史事典 三訂版
北畠氏
きたばたけし
村上源氏の一流で,もと久我 (こが) 氏を称す。5代土御門通親 (つちみかどみちちか) の孫中院雅家 (なかのいんまさいえ) が京都の北畠に住み北畠氏を称す。その曽孫親房 (ちかふさ) ,その子顕家 (あきいえ) ・顕信は南北朝時代に南朝方の重臣として活躍。3男顕能 (あきよし) は1335年伊勢国司となり,南朝勢力の一中心をなした。南北朝の合一後も代々国司として,室町・戦国時代を通して有名。1576年具教 (とものり) が織田信長に滅ぼされた。
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