@niftyトップ

辞書、事典、用語解説などを検索できる無料サービスです。

北畠満雅【きたばたけみつまさ】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

北畠満雅
きたばたけみつまさ
[生]?
[没]正長1(1428).12.21. 伊勢
室町時代の伊勢国司。顕泰の子。南北両朝合一ののちも大覚寺統支持し,正長1 (1428) 年,後亀山天皇の皇子小倉宮を奉じて挙兵,敗死。 (→北畠氏 )

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉

きたばたけ‐みつまさ【北畠満雅】
[?~1428]室町時代武将伊勢国司。南北朝合一後、大覚寺統皇位が譲られないことを両統迭立約束に反したとして、後亀山天皇の小倉宮を奉じて挙兵するが、幕府軍にれて戦死

出典:小学館
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:田中牧郎、曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル版 日本人名大辞典+Plus

北畠満雅 きたばたけ-みつまさ
?-1429* 室町時代の武将。
北畠顕泰(あきやす)の次男伊勢(いせ)国司称光天皇即位にあたり,両統迭立の約束に反したとして応永21年挙兵。つぎの後花園天皇の即位の際も,ふたたび後亀山天皇の孫の小倉宮を奉じて挙兵して土岐持頼(とき-もちより)とたたかい,正長(しょうちょう)元年12月21日伊勢(三重県)安濃(あの)郡で敗死した。

出典:講談社
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版

きたばたけみつまさ【北畠満雅】
?‐1428(正長1)
室町時代の武将。北畠顕泰の次子。左中将。1403‐7年(応永10‐14)ころに伊勢国司を襲封したという。彼の治世期,伊勢国司は南北両朝合一後の領国支配に対応して,奉行人組織等の整備をはかり,これ以後の展開に一時期を画した。しかし彼は14年天皇践祚についての合一条件(両統迭立)の不履行に怒り,小倉宮聖承を奉じて幕府に反旗を翻し,28年伊勢安濃郡岩田川の戦で敗死した。【西山 克】

出典:株式会社平凡社
Copyright (c) Heibonsha Limited, Publishers, Tokyo. All rights reserved.

大辞林 第三版

きたばたけみつまさ【北畠満雅】
?~1428 室町時代の武将。伊勢国司。多気郡を拠点として南北朝合一後も南朝を支持、小倉宮を迎えたが敗死。

出典:三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

精選版 日本国語大辞典

きたばたけ‐みつまさ【北畠満雅】
室町中期の武将。伊勢国司。南北朝合一後、両統を交互に立てるという約束が果たされないのを不満とし、大覚寺統の小倉宮を奉じて挙兵したが、幕府軍に敗れ、伊勢国岩田で戦死。正長元年(一四二八)没。

出典:精選版 日本国語大辞典
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

北畠満雅」の用語解説はコトバンクが提供しています。

北畠満雅の関連情報

関連キーワード

正長称光天皇後花園天皇称光天皇称光天皇後花園天皇黎朝土一揆(つちいっき)満済准后始・初

他サービスで検索

(C)The Asahi Shimbun Company /VOYAGE MARKETING, Inc. All rights reserved.
No reproduction or republication without written permission.

アット・ニフティトップページへ アット・ニフティ会員に登録

ウェブサイトの利用について | 個人情報保護ポリシー
©NIFTY Corporation