●千葉周作【ちばしゅうさく】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
千葉周作
ちばしゅうさく
[没]安政2(1855).12.10. 水戸
幕末の剣客。北辰一刀流の開祖。浅利又七郎の門に入り,のち別派を立てた。江戸神田お玉ヶ池に開いた玄武館道場が江戸三大道場の一つとして繁栄,水戸藩馬廻役に登用された。
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デジタル大辞泉
ちば‐しゅうさく〔‐シウサク〕【千葉周作】
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus
千葉周作 ちば-しゅうさく
寛政6年1月1日生まれ。父から北辰夢想流をまなぶ。小野派一刀流の浅利又七郎に師事,江戸の宗家中西忠兵衛の門にはいり免許皆伝となる。北辰一刀流をとなえて道場玄武館を江戸日本橋にひらき,ついで神田お玉が池にうつす。のち常陸(ひたち)水戸藩主徳川斉昭(なりあき)につかえた。安政2年12月10日死去。62歳。陸奥(むつ)栗原郡(宮城県)出身。名は観。字(あざな)は成政。号は屠竜。
【格言など】夫(そ)れ剣は瞬息(しゅんそく)心気力一致
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江戸・東京人物辞典
千葉周作
出典:財団法人まちみらい千代田
監修:江戸東京博物館 都市歴史研究室長 北原 進
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デジタル大辞泉プラス
世界大百科事典 第2版
ちばしゅうさく【千葉周作】
幕末の剣客で,北辰一刀流の流祖。字は成政,号は屠竜。陸奥国栗原郡荒谷村(現,宮城県古川市)に獣医の次男として生まれ,15歳のとき江戸近郊の松戸に移り,16歳のとき小野派一刀流の浅利又七郎義信の門に学んだ。師の世話で旗本の喜多村石見守正秀に仕えるかたわら剣に精進し,宗家の中西忠兵衛子正(たねまさ)に入門,高柳又四郎,白井亨,寺田五郎右衛門など当代の名剣士とともに修業し,その非凡な才能に磨きをかけた。他流試合を通じて各流の長短得失を学んだ結果,伝統的な一刀流兵法にも改める点のあることを感じ,みずからの創意工夫を加えて北辰一刀流をうち立てた。
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日本大百科全書(ニッポニカ)
千葉周作
ちばしゅうさく
(1794―1855)
江戸末期の剣術家、北辰(ほくしん)一刀流の開祖。名は観(かん)、字(あざな)は成政(なりまさ)、屠龍(とりゅう)と号した。陸前国(宮城県)栗原(くりはら)郡花山(はなやま)村(同郡荒谷(あらや)村、気仙郡気仙村との説もある)の郷士、千葉忠左衛門成胤(幸右衛門成勝)の次男に生まれ、7、8歳のころから父について家伝の北辰流を習い、その偉才ぶりを発揮した。15歳のとき一家は江戸を目ざして出郷、水戸道中松戸宿(千葉県松戸市)に落ち着き、父は浦山寿貞(うらやまじゅてい)と号して馬医に、周作兄弟は同地出身の中西(なかにし)派一刀流の浅利又七郎義信(あさりまたしちろうよしのぶ)のもとに入門した。やがて非凡の才を認められて、江戸の宗家(そうけ)中西忠兵衛子正(つぐまさ)に学び、寺田宗有(てらだむねあり)、白井亨(しらいとおる)、高柳又四郎らの指導を受けて、修行3年で免許皆伝を許された。1820年(文政3)27歳のとき、北関東から東海地方への廻国(かいこく)修行を試み、各流各派の長短得失を知り、伝統的な一刀流兵法を改組する必要性を痛感し、22年北辰・一刀両流をあわせ、さらに創意を加えて北辰一刀流を標榜(ひょうぼう)し、日本橋品川町に道場を開き、玄武館(げんぶかん)と称した。
その柔軟性に富んだ教授法と昇段制の簡略化など、優れた道場経営でたちまち人気を博し、門人が急増したため、1825年の秋には、神田お玉が池の儒者東条一堂(とうじょういちどう)の瑤池塾(ようちじゅく)に隣接する旗本某の屋敷を買い求めて移転した。さらに一堂の没後はこれを買収して、道場の規模を広げ、一族子弟門人中にも優れた剣客に恵まれて、玄武館は江戸町道場の随一とうたわれた。周作には4人の男子があり、長男奇蘇太郎(きそたろう)、次男栄次郎、三男道三郎、四男多門四郎のいずれも資質に恵まれたが、とくに栄次郎はすばらしい腕前の持ち主で、神道無念流練兵館(れんぺいかん)斎藤弥九郎(やくろう)の長男新太郎、鏡新明智(きょうしんめいち)流士学館桃井春蔵(もものいしゅんぞう)の養子直正(なおまさ)(4代)と並び称された。また実弟で玄武館を補佐した定吉も剣名が高かった。門人としては、海保帆平(かいほはんぺい)、井上八郎、大羽藤蔵(おおばとうぞう)、森要蔵(もりようぞう)、また水戸の渡辺清左衛門、小沢寅吉らが有名であった。幕末の清河八郎(きよかわはちろう)、坂本龍馬(りょうま)らも同門の出身である。
[渡邉一郎]
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367日誕生日大事典
千葉周作 (ちばしゅうさく)
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精選版 日本国語大辞典
ちば‐しゅうさく【千葉周作】
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