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南方熊楠【みなみかた くまぐす】

美術人名辞典

南方熊楠
生物学・民俗学者。和歌山県生。大学予備門中退。明治19年渡米、ランシング大学農科に入学するが、またもや中退、中南米各地を放浪動植物の観察・採集をする。25年英国に渡り、ロンドン学会の天文学懸賞論文当選、学会で認められる。10数ヵ国語に通じ大英博物館東洋調査部に入り資料整理に尽した。この頃亡命中の孫文と交遊。33年帰国、菌類の採集・民族学に没頭粘菌の研究で新種七十種を発見。大酒豪で奇行も多い。著書に『南方閑話』『南方随筆』等。昭和16年(1941)歿、75才。

出典:(株)思文閣

デジタル大辞泉

みなかた‐くまぐす【南方熊楠】
[1867~1941]生物学者・民俗学者。和歌山の生まれ。米国・英国に渡り、独学で動植物を研究し、各国語に精通大英博物館に勤務し、論文などを執筆。帰国後は田辺市で粘菌の採集や民俗学の研究に頭した。奇行の人として知られる。「南方閑話」「南方随筆」「十二支考」など。

出典:小学館
監修:松村明
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

南方熊楠 みなかた-くまぐす
1867-1941 明治-昭和時代前期の博物学者。
慶応3年4月15日生まれ。大学予備門を中退し明治20年渡米。のちイギリスで大英博物館嘱託となり,「Nature」誌などに寄稿。33年帰国後は和歌山県田辺町で粘菌類を研究,かたわら民俗学などの論文を多数執筆した。昭和16年12月29日死去。75歳。紀伊(きい)和歌山出身。著作に「南方閑話」「南方随筆」など。
【格言など】わが国特有の天然風景はわが国の曼陀羅(まんだら)ならん(神社合祀に反対する手紙の一部)

出典:講談社
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世界大百科事典 第2版

みなかたくまぐす【南方熊楠】
1867‐1941(慶応3‐昭和16)
生物学者,人類学・民俗学者。和歌山市の金物商の次男として生まれる。1883年和歌山中学を卒業し,上京して大学予備門に入ったが,石器土器,動植鉱物標本採集に熱中し,ついに退学した。同窓には秋山真之正岡子規,芳賀矢一,本多光太郎などがいた。86年に21歳で渡米,一時ミシガン州立ランシング農学校に在籍したが,曲馬団の事務員となって中南米,西インド諸島を巡遊し,その間も各種の標本や地衣類,菌類の採集に努めた。

出典:株式会社平凡社
Copyright (c) Heibonsha Limited, Publishers, Tokyo. All rights reserved.

大辞林 第三版

みなかたくまぐす【南方熊楠】
1867~1941 生物学者・民俗学者。和歌山県生まれ。大学予備門中退。大英博物館東洋調査部員。粘菌学者として菌類の採集研究に力を注ぎ、約七〇の新菌種を発見。また、日本民俗学に貢献。博覧強記・奇行の人として知られた。著「十二支考」「南方閑話」「南方随筆」など多数。

出典:三省堂
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

南方熊楠
みなかたくまぐす
[生]慶応3(1867).4.15. 和歌山
[没]1941.12.29. 田辺
植物学者,民俗学者,博物学者。幼少より記憶力にすぐれ,12歳までに『本草綱目』『諸国名所図絵』『大和本草』などを筆写。 1883年和歌山中学卒業。上京し翌年大学予備門 (旧制第一高等学校の前身) 入学。日本菌類 7000点採集の志を立てた。 86年病気退学。渡米。諸学校を転々とし,各種職業につき放浪。 91年キューバ島に渡り,地衣類新種ギアレクタ・クバナを発見。独立戦争に参加して負傷。翌年渡英。 93年イギリスの科学誌『ネイチャー』 Natureに『極東の星座』を寄稿。大英博物館で研究。 1900年帰国。 01年から熊野山中に入り粘菌類を採集。また,高等植物の採集も行なっていた事実が,保存されている数千点の標本から判明した。その後,和歌山県田辺に定住,06年田村まつゑと結婚。 07年神社合祀令に反発し,反対運動を起した。 29年昭和天皇南紀行幸の際,田辺湾神島に回航した『長門艦上で進講した。『十二支考』 (1914~24) はじめ,著書は『南方熊楠全集』 (12巻,1951) に収められている。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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日本大百科全書(ニッポニカ)

南方熊楠
みなかたくまぐす
(1867―1941)
生物学者、民俗学者。和歌山県に生まれる。博覧強記、国際人、情熱の人として、日本を代表する人物の一人に数えられる。大学予備門(東京大学教養課程の前身)を中途退学してアメリカ、イギリスに渡り、ほとんど独学で動植物学を研究。イギリスでは大英博物館で考古学、人類学、宗教学を自学しながら、同館の図書目録編集などの職につく。1900年(明治33)に帰国後は和歌山県田辺(たなべ)町(現、田辺市)に住み、粘菌(ねんきん)類(変形菌類)などの採集・研究を進める一方、民俗学にも興味を抱き、『太陽』『人類学雑誌』『郷土研究』『民俗学』『旅と伝説』などの雑誌に数多くの論考を寄稿し、民俗学の草創期に柳田国男(やなぎたくにお)とも深く交流して影響を与えた。まとまったものとしては『十二支考』などが著名。
 南方が心血を注いで研究した粘菌類は森林の中に生息する小生物であるが、明治政府の進めた神社合祀(ごうし)によって小集落の鎮守(ちんじゅ)の森が破壊されることを憂い、1907年から数年間にわたって激しい神社合祀反対運動を起こす。これが後の自然保護運動のはしりとして再評価されている。1929年(昭和4)には田辺湾内の神島(かしま)に天皇を迎え、御進講や標本の進献などを行う。南方没後の1962年(昭和37)両陛下南紀行幸啓の際、神島を望見した天皇は「雨にけぶる神島を見て紀伊の国の生みし南方熊楠を思ふ」という御製を詠んで追懐した。和歌山県白浜町には南方熊楠記念館がある。[井之口章次]
『『南方熊楠全集』10巻・別巻2(1971~1975・平凡社) ▽『南方熊楠日記』全4巻(1987~1989・八坂書房) ▽笠井清著『南方熊楠』(1967/新装版・1985・吉川弘文館) ▽南方文枝著、谷川健一他編『父南方熊楠を語る』(1981・日本エディタースクール出版部) ▽鶴見和子著『南方熊楠』(講談社学術文庫)』

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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精選版 日本国語大辞典

みなかた‐くまくす【南方熊楠】
民俗学者、生物学者。日本民俗学の創始者の一人。和歌山出身。アメリカ・イギリスに渡り、大英博物館東洋調査部に勤務しながら動植物学・考古学・宗教学などを独学で研究。帰国後、和歌山県田辺で変形菌類などの採集・研究と民俗学の研究を行なった。著に「南方閑話」「十二支考」「南方随筆」など。慶応三~昭和一六年(一八六七‐一九四一

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