●南満州鉄道【ミナミマンシュウテツドウ】
デジタル大辞泉
みなみまんしゅう‐てつどう〔みなみマンシウテツダウ〕【南満州鉄道】
日露戦争でロシアから獲得した南満州の鉄道とその付属事業を経営する半官半民の国策会社。明治39年(1906)設立。満州国創立後は満州国有となった鉄道全部を経営、他の産業部門にも進出し、日本の中国侵略の拠点となった。昭和20年(1945)中国が接収。満鉄。
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精選版 日本国語大辞典
みなみまんしゅう‐てつどう みなみマンシウテツダウ【南満州鉄道】
日露戦争終結後、明治三八年(一九〇五)に締結されたポーツマス条約によって、ロシアから日本に譲渡された東清鉄道ほか支線を含む南満州の鉄道。日本の満州経略上の重要拠点となった。昭和一〇年(一九三五)鉄道売却の協定が成立、形式上満州国の所有に帰したが、同二〇年中国に接収された。満鉄。
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旺文社世界史事典 三訂版
南満州鉄道
みなみまんしゅうてつどう
満州の長春から大連・旅順 (りよじゆん) を結ぶ鉄道。略称“満鉄”
ロシアがシベリア鉄道の支線として敷設した東清鉄道の一部で,日露戦争の結果,日本に譲渡されたもの。日本は半官半民の南満州鉄道株式会社(満鉄)を作り,満州を半植民地化する足がかりとした。第二次世界大戦後,ヤルタ協定によって中ソ共同経営となったが,1952年中国に返還され,現在は中国長春鉄路という。
ロシアがシベリア鉄道の支線として敷設した東清鉄道の一部で,日露戦争の結果,日本に譲渡されたもの。日本は半官半民の南満州鉄道株式会社(満鉄)を作り,満州を半植民地化する足がかりとした。第二次世界大戦後,ヤルタ協定によって中ソ共同経営となったが,1952年中国に返還され,現在は中国長春鉄路という。
出典:旺文社世界史事典 三訂版
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