●博多【はかた】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
博多
はかた
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デジタル大辞泉
はかた【博多】
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世界大百科事典 第2版
はかた【博多】
[古代・中世]
古くは那津(なのつ),那大津(なのおおつ)と呼ばれ,8世紀中ごろから博多と称され,中世には石城(せきじよう),冷泉津とも別称された。当初は大宰博多津として,大宰府の外港的役割をはたした。ここに筑紫館(つくしのむろつみ)と呼ばれる外国使節接待のための迎賓館が置かれ,のちに鴻臚館(こうろかん)と称された。鴻臚館は外国使節,渡来人の饗応をつかさどり,遣唐使,入唐僧の宿舎にあてられた。
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日本大百科全書(ニッポニカ)
博多
はかた
福岡市の那珂川(なかがわ)右岸に位置する九州一の商業中心地区。1972年(昭和47)の政令指定都市発足により設けられた5区の一つでもある。古くは「那津(なのつ)」ともいわれたように『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』で知られる奴国(なこく)の港であったと考えられる歴史の古い場所で、律令(りつりょう)時代には大宰博多津(だざいはかたのつ)という大宰府の外港として栄え、遣隋使(けんずいし)、遣唐使もここから出発した。その後、刀伊(とい)、蒙古(もうこ)の来襲を受けたので鎮西探題(ちんぜいたんだい)が博多に置かれ、博多は大宰府にかわって九州の内政・外交の中心となった。15世紀に入ると大内氏が進出して対明(みん)貿易を推進したため貿易・商業地として発達、日本三津(しん)の一つに数えられるに至った。堺(さかい)と並んで自治権を有した博多商人の基礎が築かれたのはこのころである。その後、戦国時代の戦乱により焼け野原と化したが、1587年(天正15)九州入りした豊臣秀吉(とよとみひでよし)により方10町の町割による博多の復興が着手され、現在の博多地区の原形が完成、ふたたび商人の町として発展を始めた。江戸時代には福岡藩の城下町である福岡と、那珂川を挟んで対峙(たいじ)したが、城下町に組み込まれることになった。
明治に入って1872年(明治5)福岡が第一大区、博多は第二大区となったが、1878年に第一大区に合体され、1889年には福岡市となった。市名は福岡であるが、鉄道の駅、港、人形、織物、俄(にわか)、どんたくなど博多の名を冠したものが多く、市民に親しまれており、区名として残っている。現在の博多区は、博多5町を中心に問屋街が発達するとともに、博多駅が九州最大の駅として発展、周辺地区には官公庁や銀行、商社ビル、ホテルなどが建ち並んで天神地区とともに都心としての機能を備えてきた。北端には博多港の中枢である中央埠頭(ふとう)と、対馬(つしま)、壱岐(いき)、五島(ごとう)、沖縄などへの航路が発着する博多埠頭が、東端には福岡空港があり、福岡県における交通の拠点でもある。福岡空港と博多駅は市営地下鉄で結ばれている。また、埠頭近くにはマリンメッセ福岡、福岡国際センター、福岡国際会議場などが集まっている。北東端にある東公園には、1981年(昭和56)県庁と県警本部が移転し、県行政の中心として発展を始めている。一方、西端に位置する中洲(なかす)は全国的に知られる九州一の歓楽街で人出も多い。見どころとしては板付遺跡(いたづけいせき)(国史跡)に代表される弥生(やよい)遺跡や、住吉(すみよし)神社、櫛田(くしだ)神社、承天(じょうてん)寺、聖福寺(しょうふくじ)(境内は国史跡)、崇福(そうふく)寺、東長(とうちょう)寺、東光(とうこう)院など著名な社寺に富んでおり、どんたく、博多祇園山笠(ぎおんやまがさ)(国の重要無形民俗文化財)、おくんちなどの有名な年中行事とあわせ多数の観光客を集めている。
[石黒正紀]
『村瀬時男編『博多二千年』(1961・以文社)』
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精選版 日本国語大辞典
はかた【博多】
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旺文社日本史事典 三訂版
博多
はかた
現在の福岡市博多区にあたる。古くは那津 (なのつ) と呼ばれ,三津 (さんしん) の一つに数えられた。律令時代,大宰府の外港として大陸との交通の要地として栄え,日宋貿易・勘合貿易の根拠地となり,室町時代大内氏の支配下に博多商人が活躍した。戦国時代には12人の年行事により自治が行われ,一時豊臣秀吉の直轄地となったが,江戸時代は商業都市として発展した。
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