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博徒【バクト】

デジタル大辞泉

ばく‐と【博徒】
ばくち打ち。

出典:小学館
監修:松村明
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世界大百科事典 第2版

ばくと【博徒】
博奕打(ばくちうち)ともいう。博奕を専業とする者。中世には博打(ばくち)がいるが,江戸時代には賭博者の集団である博徒が多数生まれた。
[都市博徒]
 江戸時代の初期に賭博常習者として知られているものは旗本,御家人,浪人からなる旗本奴(はたもとやつこ)の一団である。彼らは〈かぶき者〉と呼ばれたように異様な風体で,庶民には迷惑な存在だった。旗本奴に対抗し町奴(まちやつこ)も賭博を日常とした者が多かった。治安対策上,彼らは1657年(明暦3)から86年(貞享3)にかけて弾圧され,ほぼ消滅してしまった。

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

ばくと【博徒】
ばくちうち。

出典:三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)

博徒
ばくと
賭博(とばく)で世渡りをしている人々。博打(ばくち)打ち、渡世人(とせいにん)ともいい、賭(か)け事が庶民階級に浸透していった平安時代初期のころに発生している。博徒が組織化し武装したのは江戸時代で、幕府が1805年(文化2)に関八州取締所を設置して博徒の取締りを強化したため、江戸および近郊の博徒が上州付近に集まり幕府に対抗した。その後、幕府の取締りも効果がなく、20年後の1827年(文政10)ごろには鉄砲、槍(やり)などで武装し、ますます手のつけられない状態になった。博徒のことを長脇差(ながどす)というが、戦国時代に榛名(はるな)山の中腹にあった箕輪(みのわ)城の武士たちが好んで長い脇差(わきざし)を用いたところから、上州に集まった博徒たちが自然に長脇差で武装し、その別名となった。博徒の集団は一家をなし、統率者を親分といい、子分、孫分、兄弟分、叔父分、隠居という身分階級が定められていて堅い団結を信条としている。博徒の子分になるには、仲人(なこうど)をたて厳粛な儀式で、「一家のため身命を捨てても尽くすことと、親分の顔に泥を塗るような行為はけっしてしないこと」を誓う。博徒の歴史は賭け事の盛衰に伴い消長があるが、第二次世界大戦後は盛り場などを縄張りとする暴力組織と渾然(こんぜん)となり、区別がつかなくなっている。政府の取締りにもかかわらず、博徒の集団や暴力組織が存在することは、日本ばかりでなく、世界の文明国に共通しているが、反面、これらを必要とする要素が文明社会のなかにあることを見逃すことはできない。[倉茂貞助]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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精選版 日本国語大辞典

ばく‐と【博徒】
〘名〙 賭博をもっぱらにする者。博打打ち。
※蔭凉軒日録‐長享二年(1488)二月一一日「花御所跡可在家否。毎々夜盗集会、〈略〉近来者博徒相集、所々成団闘樗捕。或時及喧嘩、或時張飲宴」 〔史記‐魏公子伝〕

出典:精選版 日本国語大辞典
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