●厳島神社【いつくしまじんじゃ】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
厳島神社
いつくしまじんじゃ
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デジタル大辞泉
いつくしま‐じんじゃ【厳島神社】
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デジタル大辞泉プラス
厳島神社
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厳島(いつくしま)神社
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世界遺産詳解
いつくしまじんじゃ【厳島神社】
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世界大百科事典 第2版
いつくしまじんじゃ【厳島神社】
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日本大百科全書(ニッポニカ)
厳島神社
いつくしまじんじゃ
広島県廿日市(はつかいち)市宮島(みやじま)町に鎮座。古くは伊都伎嶋(いつきしま)神社とも記し、また厳島大明神(だいみょうじん)とも称した。市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)、田心姫命(たごりひめのみこと)、湍津姫命(たぎつひめのみこと)を祀(まつ)る。古代には周囲約31キロメートルの宮島そのものが神とされ、人も住むことを許されない神聖な島とされた。社殿が海水のさしひき(干満)する所に建てられているのもそのためである。宮島には中世以降人家が建てられたが、耕作をしない、死者を埋葬しない風習は現在も守られている。創建年代は不詳であるが、社伝では、推古(すいこ)天皇のとき、佐伯郡の住人佐伯鞍職(さへきくらもと)が神託を受け、社殿をつくり祀ったことに始まるという。811年(弘仁2)7月名神(みょうじん)社に列し、四時(しじ)の幣帛(へいはく)を奉る社とされ、859年(天安3)正五位下より従(じゅ)四位下に、さらに867年(貞観9)従四位上に叙され、延喜(えんぎ)の制で名神大社とされた。その後、さらに朝野の厚い崇敬を受けて、安芸(あき)国(広島県西半部)一宮(いちのみや)とされた。平清盛(きよもり)が出てからはその一門がことに崇敬し、1174年(承安4)3月には後白河(ごしらかわ)法皇が建春門院平滋子(しげこ)とともに御幸し、1178年(治承2)高倉(たかくら)天皇の中宮建礼門院平徳子(とくこ)懐妊ののちは、清盛は皇子出産を願って月参をした。翌年、朝廷で二十二社の列に加えられようとしたが、これは果たされなかった。平家滅亡のあと、源頼朝(よりとも)も崇敬して社領を寄進し、修造料を寄せ、以降鎌倉幕府も保護した。鎌倉時代に火災により多くの建物を焼失したが、室町時代に大内氏、毛利(もうり)氏が維持に努め、ことに毛利元就(もとなり)は1572年(元亀3)将軍足利義昭(あしかがよしあき)の命を受けて、本社拝殿、回廊、客(まろうど)神社以下を古例のままに造営した。また毛利輝元(てるもと)も社領を寄進、さらに1587年(天正15)豊臣(とよとみ)秀吉の命を受けて大経堂(千畳閣)を造営した。江戸時代にも徳川将軍や広島藩主浅野氏がよくその維持に努めた。1871年(明治4)国幣中社、さらに1911年(明治44)官幣中社とされた。
本社(本殿、幣殿(へいでん)、拝殿、祓殿(はらいでん))のほか、天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)、天穂日命(あめのほひのみこと)、天津彦根命(あまつひこねのみこと)、活津彦根命(いくつひこねのみこと)、熊野櫲樟日命(くまのくすひのみこと)を祀る摂社客神社(本殿、幣殿、拝殿、祓殿)、回廊は国宝建造物で、平清盛造営当時の規模をよく伝えている。
そのほか、大鳥居(1875再建)、五重塔、能舞台など多くの国指定重要文化財がある。また社宝には、平家納経1具、法華経(ほけきょう)30巻、彩絵檜扇(ひおうぎ)などの国宝や、鎧(よろい)、太刀(たち)など、国指定重要文化財を多く蔵している。1996年(平成8)には、厳島神社の建造物群と前面の海、背後の森林とが、世界遺産の文化遺産として登録された(世界文化遺産)。例祭は6月17日のほか、4月15日の桃花(とうか)祭、陰暦6月17日中心の管絃(かんげん)祭、陰暦7月18日の玉取(たまとり)祭、12月31日の鎮火祭など豪華な祭礼が多く、舞楽(ぶがく)、能楽が年中行事のなかで行われる。また、島を一周し、末社を巡る「御島巡り」は、厳粛な祭事である。
[鎌田純一]
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事典・日本の観光資源
厳島神社
「灘百選」指定の観光名所。
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厳島神社
「日本三弁天」指定の観光名所。
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事典 日本の地域遺産
厳島神社
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厳島神社
「世界遺産」指定の地域遺産(1996(平成8)年)。
厳島神社は瀬戸内海の島を背後にして、海上に木造建物が建ち並ぶ平清盛ゆかりの神社。社殿背後の宮島(厳島)は、日本三景の1つ(特別史跡及び特別名勝指定)。12世紀に創建されその後焼失、1241(仁治2)年再建。創建時の様式が忠実に再現され、平安時代の寝殿造りの特徴を表している。37棟の建物が300mに及ぶ回廊で結ばれている
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厳島神社
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精選版 日本国語大辞典
いつくしま‐じんじゃ【厳島神社】
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旺文社日本史事典 三訂版
厳島神社
いつくしまじんじゃ
市杵嶋 (いちきしま) 姫を主神とし諸神を合祀。平安時代から宮廷の信仰が厚い安芸 (あき) 国の一宮。平清盛が安芸守在任中に崇敬し,平氏一門の支援により現在の規模となった。一門が奉納した『平家納経』は有名。海中に鳥居があり,海上より拝することもできる。航海の守護神として今日も繁栄。1996年世界文化遺産に登録された。
出典:旺文社日本史事典 三訂版
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