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古河公方【こがくぼう】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

古河公方
こがくぼう
下総国古河根拠地とした足利成氏とその子孫をいう。成氏は関東の主として鎌倉にいたが,関東管領上杉氏と対立し,さらに幕府軍に攻められて康正1 (1455) 年古河に移った。以来政氏,高基,晴氏,義氏が代々上杉氏後北条氏と,ときに対抗し,ときに提携しながら次第に勢威を失い,天正 11 (1583) 年義氏が没して男子がなく,5代で絶えた。

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デジタル大辞泉

こが‐くぼう〔‐クバウ〕【古河公方】
鎌倉公方足利成氏(あしかがしげうじ)とその子孫の称。享徳3年(1454)関東管領上杉憲忠(うえすぎのりただ)を殺した成氏が、翌年幕府軍に追われ、以後5代にわたり下総(しもうさ)古河を根とした。天正11年(1583)滅亡。→鎌倉府

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世界大百科事典 第2版

こがくぼう【古河公方】
鎌倉公方足利成氏(しげうじ)は,1454年(享徳3)関東管領上杉憲忠を殺したことで,幕府から追討を受ける身となり,鎌倉を逃れ下総古河に御座を構えた。これ以後の成氏およびその後継者を古河公方と呼び,それ以前の鎌倉公方と区別するのが普通である。成氏は,天然の要害たる古河を拠点にその背後にひかえる下総,下野常陸などの豪族層や国人層の援助を受けて,堀越公方(ほりごえくぼう)足利政知頂点武蔵相模,上野の中小武士層を基盤とする上杉氏勢力に対抗した。

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大辞林 第三版

こがくぼう【古河公方】
鎌倉公方足利持氏の遺子足利成氏しげうじ以下政氏・高基・晴氏・義氏の五代の称。関東管領上杉憲忠を謀殺した成氏が、下総古河に拠って幕府・上杉勢力に対抗したことに由来する称。

出典:三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)

古河公方
こがくぼう
下総(しもうさ)古河(茨城県古河市)に拠(よ)って勢力をもった足利(あしかが)氏。足利成氏(しげうじ)とその子孫をいう。永享(えいきょう)の乱後、1449年(宝徳1)に鎌倉公方(関東公方)として迎えられた成氏は、父持氏(もちうじ)を討った上杉憲実(のりざね)の子の関東管領(かんれい)上杉憲忠(のりただ)を殺害したため、幕府の追討を受け、1455年(康正1)下総古河に逃れた。これより成氏を含め政氏(まさうじ)、高基(たかもと)、晴氏(はるうじ)、義氏(よしうじ)の5代は、ここを根拠地として活動したため古河公方とよばれた。古河公方成立当初は、北関東の豪族などの支持を得ていたことから勢力もあり、幕府より関東統治のために派遣された堀越(ほりこし)公方足利政知(まさとも)(将軍義政(よしまさ)の弟)や上杉氏らと対抗しえた。しかし後北条(ごほうじょう)氏の進出や、古河公方家の内紛で一時期古河を離れるなどの結果、しだいにその勢力は衰退していった。義氏期になると完全に後北条氏の支配下に入り、その門地により地位を保っていたが、1583年(天正11)義氏に嗣子(しし)なく古河公方家は滅亡した。1590年古河公方家の断絶を惜しんだ豊臣(とよとみ)秀吉は、義氏の娘(鴻巣(こうのす)御所)に高基の弟義明の孫国朝(くにとも)を配し、下野(しもつけ)(栃木県)喜連川(きつれがわ)(もと狐(きつね)川)に領地を与え再興した。以後この子孫は喜連川氏を称した。[小要 博]
『『神奈川県史 通史編1 原始・古代・中世』(1981・財団法人神奈川県弘済会) ▽『古河市史資料 中世編』(1981・古河市)』

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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精選版 日本国語大辞典

こが‐くぼう ‥クバウ【古河公方】
〘名〙 室町時代、鎌倉公方の後裔。永享の乱の後、上杉氏ら関東の諸将が足利持氏の遺子成氏を鎌倉公方に迎えたが、成氏は関東管領上杉憲忠を殺して、幕府の討伐をうけ、康正元年(一四五五)、下総古河に走ってここを根拠地とした。以後成氏から義氏に及ぶ五代の子孫をよぶ。伊豆堀越に居を構えた将軍義政の子政知(堀越公方)と対抗するなど、長く関東に威をふるったが、天正一一年(一五八三)義氏の死とともに滅亡。古河の御所。

出典:精選版 日本国語大辞典
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旺文社日本史事典 三訂版

古河公方
こがくぼう
室町後期,鎌倉公方足利持氏の子成氏 (しげうじ) とその子孫をいう
永享の(1438〜39)後鎌倉に迎えられた成氏は関東管領上杉憲忠を殺し幕府の追討をうけて,1455年下総の古河(現茨城県古河市)に移り古河公方と称した。堀越公方との対立や上杉氏などとの争いで衰え,のち後北条氏の支配下に入り,1583年5代目義氏のにより滅亡した。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
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