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台湾出兵【タイワンシュッペイ】

デジタル大辞泉

たいわん‐しゅっぺい【台湾出兵】
台湾に漂着した琉球漁民の殺害を理由に、明治7年(1874)日本政府が西郷従道(さいごうつぐみち)の率いる討軍を派遣し、清国から償金を出させた事件征台の役
明治28年(1895)日清戦争の結果日本領となった台湾で、一部反乱が収まらず、北白川宮能久(よしひさ)親王の率いる近衛師団出兵した事件。

出典:小学館
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世界大百科事典 第2版

たいわんしゅっぺい【台湾出兵】
1874年(明治7)清国台湾に日本が出兵した事件。開国後最初の海外派兵。征台の役,台湾事件ともいう。1871年琉球宮古島,八重山島の漁船が台湾に漂着し,乗組員多数が原住民に殺害され,さらに73年には岡山県の船員が略奪されるという事件が起こった。このため早くから征韓論を唱えて大陸進出をめざしていた外務卿副島種臣は,これを台湾征討の理由とし,あわせて琉球の帰属問題を国際的に明確化しようとし,前厦門アモイ)駐在のアメリカ領事ル・ジャンドル(李仙得)を顧問雇い,その助言によって出兵を計画した。

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大辞林 第三版

たいわんしゅっぺい【台湾出兵】
1874年(明治7)、三年前の台湾原住民による琉球島民殺害を理由として、日本が台湾に派兵した事件。清国から償金を得て和約。征台の役。台湾征討。

出典:三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)

台湾出兵
たいわんしゅっぺい
1874年(明治7)台湾原住民による日本人漂流民虐待の責任追及を理由に日本政府が台湾に出兵した事件。「征台の役」「台湾事件」などともいう。1871年琉球(りゅうきゅう)八重山(やえやま)島民が台湾南東岸に漂着、うち54名が牡丹社(ぼたんしゃ)原住民に殺害され、琉球を管轄していた鹿児島県参事大山綱良(つなよし)は政府に責任追及の出兵を建議した。73年には備中(びっちゅう)国(岡山県)柏島村の船が台湾に漂着し、乗組員4名が略奪を受けた。こうして政府内外に台湾征討の声が高まった。同年特命全権大使として渡清(としん)した外務卿副島種臣(そえじまたねおみ)は随員柳原前光(やなぎはらさきみつ)にこの件を問いたださせたが、清国外務当局は台湾原住民は「化外(かがい)」であり、清国の統治の外にあると述べて責任を回避した。同年秋の朝鮮使節派遣をめぐる政府分裂(いわゆる明治六年の政変)、翌74年1月の岩倉具視(ともみ)暗殺未遂事件、2月の佐賀の乱と政情不穏が高まると、政府は国内の不満を外にそらすねらいもあって台湾征討に踏み切り、4月参議大隈重信(おおくましげのぶ)を台湾蕃地(ばんち)事務局長官に、陸軍中将西郷従道(さいごうつぐみち)を台湾蕃地事務都督に任命し出兵準備に入った。ところが駐日イギリス公使、アメリカ公使が極東の平和を乱すおそれがあると出兵反対の意向を示したので政府は中止を決めた。しかし、西郷は兵3000を率いて独断で出兵を強行し、政府はやむなく追認した。日本軍は5月22日台湾社寮(しゃりょう)港に全軍集結して行動を開始し、6月3日原住民地区をほぼ制圧した。戦死者12名、しかし風土病マラリアのため561名が病死した。清国は日本の行動に抗議し撤兵を要求した。そこで8月参議大久保利通(としみち)が全権弁理大臣に任命され、渡清して総理衙門(がもん)大臣恭親王(きょうしんのう)と交渉に入った。会談は難航したが、駐清イギリス公使ウェードの仲介で、10月31日「日清両国互換条款」が調印され、清国が日本の出兵を認め遭難民に見舞金(撫恤(ぶじゅつ)金)を支払うことを条件に日本は撤兵に同意することになって事件は落着した。かつ清国が日本軍の行動を承認したので八重山島民は日本人ということになり、琉球の日本帰属が国際的に確認された形となった。[毛利敏彦]
『戴天昭著『台湾国際政治史研究』(1971・法政大学出版局)』

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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精選版 日本国語大辞典

たいわん‐しゅっぺい【台湾出兵】
[一] 明治四年(一八七一)および同六年、台湾に漂着した琉球漁民が殺害されたのを理由に、同七年、日本政府が征討軍を派遣し、清国から償金五〇万両(約六七万円)を出させた事件。征台の役。
[二] 日清戦争の結果、台湾は日本領となったが、一部反乱が収まらないため、明治二八年(一八九五)、北白川宮能久親王の率いる近衛師団によってこれを鎮定した事件。

出典:精選版 日本国語大辞典
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旺文社世界史事典 三訂版

台湾出兵
たいわんしゅっぺい
1874年,琉球の漂流民が台湾の先住民に殺害された事件を口実に,日本が出兵した事件
明治政府にとっては初めての海外出兵で,琉球領有を清朝に認めさせることが目的の1つであった。

出典:旺文社世界史事典 三訂版
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旺文社日本史事典 三訂版

台湾出兵
たいわんしゅっぺい
明治政府最初の海外出兵
台湾事変・征台の役ともいう。台湾に漂着した琉球人の殺害事件に対し,政府は清国に抗議したが,清国は台湾人を「化外の民(教化の外にある人びと)」として無関係を主張した。政府は,英・米の中立政策などにより出兵中止を決定したが,西郷従道 (つぐみち) の強い主張もあり,1874年士族の不満を外に向けるため,西郷従道の指揮のもとに出兵し,高砂族を征討した。清国はこれに抗議したが,イギリスの調停により和議が成立し,日本は償金50万両 (テール) を獲得した。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
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