●史記【しき】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
史記
しき
Shi-ji; Shih-chi
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デジタル大辞泉
しき【史記】
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防府市歴史用語集
史記
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デジタル大辞泉プラス
史記
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世界大百科事典 第2版
しき【史記 Shǐ jì】
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日本大百科全書(ニッポニカ)
史記
しき
中国、前漢の歴史家司馬遷(しばせん)の著。上古の黄帝から前漢の武帝に至るおよそ二千数百年にわたる通史で、歴代王朝の編年史である本紀12巻、年表10巻、部門別の文化史である書8巻、列国史である世家(せいか)30巻と、個人の伝記集である列伝70巻とからなっている。父の司馬談の遺言を受け、紀元前104年前後から編纂(へんさん)に着手し、中途で李陵(りりょう)の事件に連座して宮刑に処せられたが、その屈辱を克服して執筆を続け、前91年ごろにはいちおうの草稿を完成したものと考えられる。それまで中国では、儒教の経典として重きをなした『尚書』『春秋』『詩』『易』『礼』のほか、春秋から戦国時代にかけての思想家の著作である諸子百家が存在し、いずれも専門の学者によって伝承され解釈されてきたが、全部を統一して古代から漢までの歴史を書いたものはなかった。司馬遷はそれぞれの対立する学派の立場を離れて古来の典籍を自在に利用し、加えて、宮廷に残っていた豊富な史料と広い見聞に基づき、本紀、表、書、世家、列伝という独特の諸形式によって総合的に記述することに成功した。司馬遷はこの意味において中国最初の歴史学者であり、中国歴史家の父と称される。とくに彼が創始した本紀、列伝などのように性質の異なった歴史記述の仕方を併存した総合史の形式は紀伝体(きでんたい)とよばれ、班固(はんこ)の『漢書』に受け継がれて、以後の諸王朝の官撰(かんせん)の正史の標準となった。宋(そう)の司馬光の『資治通鑑(しじつがん)』によって完成した編年体と並んで、紀伝体は、中国の歴史記述の基本的形式と考えられてきた。
[貝塚茂樹]
『小竹文夫・小竹武夫訳『世界文学大系5A・B 史記』(1962・筑摩書房)』▽『貝塚茂樹・川勝義雄訳『世界の名著11 司馬遷』(1968・中央公論社)』
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精選版 日本国語大辞典
し‐き【史記】
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旺文社世界史事典 三訂版
史記
しき
前91年ころに完成したと考えられる。黄帝から前漢武帝までの紀伝体の史書で,12本紀・10表・8書・30世家・70列伝の計130巻。本紀は歴代王朝の皇帝中心の記録,表は年表,書は文物・制度の変遷を説いたもの,世家は有力諸侯の国別による年代記,列伝は官吏・学者・経済家・庶民などで後世に名を残すにたる個人の伝記。のちの中国の正史はすべてこの形式に従った。客観的・総合的な歴史叙述は後世史書の模範となった。
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