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吉備内親王【きびのないしんのう】

デジタル版 日本人名大辞典+Plus

吉備内親王 きびのないしんのう
?-729 奈良時代,長屋王の妃。
父は草壁皇子。母は元明天皇。神亀(じんき)6年2月12日夫が長屋王の変死罪となったとき,子の(かしわで)王,鉤取(かぎとり)王らとともに自害した。翌日内親王は無罪とする聖武(しょうむ)天皇の勅命がくだった。

出典:講談社
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版

きびないしんのう【吉備内親王】
?‐729(天平1)
奈良前期の皇族。草壁皇子(岡宮天皇)の皇女。母は元明天皇,長屋王の妻。715年(霊亀1)その子女が皇孫待遇をうけることとなり,724年(神亀1)には三品から二品に進んだが,729年2月の長屋王の変に捕らえられて処刑され,夫の長屋王や子息の膳夫王,桑田王,葛木王,鉤取王とともにみずから縊死した。は生馬山(現在の生駒山)に葬られることになったが,死後直ちにによって無罪とされ,その送葬鼓吹(こすい)を停止された以外は,例に準じて行われ,家令,帳内らも放免された。

出典:株式会社平凡社
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日本大百科全書(ニッポニカ)

吉備内親王
きびないしんのう
(?―729)
長屋王(ながやおう)の室、草壁(くさかべ)皇子の娘。母は文武(もんむ)・元正(げんしょう)両天皇と同じく元明天皇とされる。715年(霊亀1)三品(さんぼん)で、その子女はみな皇孫の列に加えられた。724年(神亀1)二品(にほん)に昇叙。729年(天平1)長屋王の変に連座し、王とともに子の膳夫(かしわで)王、桑田王、葛木(かずらき)王、鉤取(かぎとり)王を伴って自経(じけい)した。夫妻の屍(しかばね)は生馬(いこま)(生駒)山に葬られた。712年(和銅5)文武天皇の追善に書写された「長屋王願経」1巻(大般若経(だいはんにゃきょう)巻23、根津美術館蔵)が伝わるが、奥書にみえる「北宮」は書写を行った内親王宮をさすとされている。近年、長屋王邸宅跡から吉備内親王の名や「北宮」「内親王御許」と記す木簡が出土し、邸内には内親王の居所があったものと推測されている。[山本幸男]
『奈良国立文化財研究所編『平城京・長屋王邸宅と木簡』(1991・吉川弘文館) ▽寺崎保広著『長屋王』(1999・吉川弘文館)』

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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