●吉原【よしわら】
吉原
よしわら
静岡県東部,
富士市の中心市街地の一部。旧市名。 1966年富士市と
合体。
江戸時代,
東海道五十三次の
宿場町,
駿河半紙の
産地として知られた。明治期に洋紙製造技術が導入され,
製紙業が
発達。第2次世界
大戦頃から,
自動車,
電機,
金属などの
工場が多く
進出。
だるま市で有名な
妙法寺 (
毘沙門天) がある。
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吉原
よしわら
江戸時代以来の東京の
遊郭。元和3 (1617) 年牢 (浪) 人庄司甚右衛門が
幕府の許可を得て,江戸市中のすべての
遊女屋を
日本橋葺屋 (現在の中央区日本橋人形町
付近) に集めて傾城 (けいせい) 町をつくった。ここは
ヨシの茂る埋立て地であったところから最初「葭
原」と称したが,のち
縁起のいい「吉原」という字を用いたという。
明暦3 (57) 年の
大火で焼け,
浅草山谷付近 (現在の台東区千束) に
移転。ここは
新吉原といわれた。以来大坂の
新町,京都の島原と並んでにぎわいをみせ,
遊里と称する特殊地帯を形成。大門口から仲町をはさんで,
江戸町,揚屋町,角町,
京町などが開け,周囲には
堀がめぐらされた。寛延3 (1750) 年揚屋がなくなり引手茶屋に代り,
遊女 3000を数えたという。寛政7 (95) 年には肝煎 (きもいり) 名主6人で運営することとなった。享楽地であると同時に社交場でもあり,音曲,浮世絵,歌舞伎,文学など江戸町人文化の源泉であった。明治以降も存続したが,1956年売春防止法の成立によって解散,一部が旅館,娯楽施設街となっている。 (→
岡場所 )
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吉原
日本橋にあった
江戸幕府の遊郭が、明暦の大火を経て1657年に浅草の北にある現在地に移った。
塀と堀で囲まれ
世間と隔絶した街で、明治以降もにぎわう。1958年の売春防止法全面施行後、性風俗産業はいったん
下火になったが、
トルコ風呂とも呼ばれた
ソープランドが急増。現在は風俗営業適正化法に基づき個室浴場の営業が認められた地域となっている。吉原という
住所は存在せず、東京都台東区千束の一部に当たる。
(2007-12-03 朝日新聞 夕刊 2社会)
出典:朝日新聞掲載「キーワード」
よしはら【吉原】[姓氏]
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よしわら〔よしはら〕【吉原】

静岡県
富士市南東部の地名。旧吉原市。江戸時代は
東海道五十三次の
宿駅。製紙・パルプ業などが行われる。

江戸の遊郭。現在の東京都
台東区浅草北部にあった。元和3年(1617)それまで市中各所に散在していた遊女屋を、幕府が
日本橋葺屋町に集めて公認。当時は
ヨシの茂る地で葭原と書いた。明暦3年(1657)の
大火で焼けたため浅草に移された。
前者を
元吉原といい、後者を新吉原という。
三谷(さんや)。仲(なか)。
北里。北州。
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よしわら【吉原】
江戸時代以来つづいていた東京の遊郭地。江戸幕府は集娼制(しゆうしようせい)を確立するため,1617年(元和3)3月に従来江戸市中数ヵ所に散在していた遊女屋を集めて葺屋町(現,中央区日本橋人形町付近)に傾城(けいせい)町(遊郭)をつくることを許可した。その土地は埋立地で,ヨシ(
アシ)などが繁茂していたので〈葭原(
よしわら)〉と呼ばれ,後に縁起のよい字にかえて〈吉原〉と称したという。ここに江戸町と京町を建設するのに約1年半を費やし,18年11月に一斉開業し,数年後に京町2丁目(新町ともいう)と角町(すみちよう)とを追加建設した。
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よしわら【吉原】
駿河国(静岡県)富士郡の東海道の宿駅。鎌倉時代より見え,《春能深山路》弘安3年(1280)11月24日条に〈よしわらとて小家のあるに立ち入て〉とある。戦国時代には吉原
湊が
流通の
拠点として発達した。1554年(天文23)の今川義元判物によれば,矢部孫三郎は吉原の道者商人問屋,
渡船の
支配を免許され,諸役を免除された。当時,
駿河国内の
清水・沼津両湊と並ぶ重要な湊でもあった。1601年(慶長6)東海道の宿駅に指定された。
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吉原
(静岡県富士市)
「
東海道五十三次」指定の観光名所。
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よしわら よしはら【吉原】
[一] 東京にあった遊郭。元和三年(一六一七)江戸市中に散在した遊女屋を葺屋町(ふきやちょう)(=中央区日本橋堀留付近)に集めて公許。もと葭(よし)が一面にはえていたところから、葭原と俗称されたが、後、吉原と改められた。幕府の命により、明暦三年(一六五七)の大火以後浅草山谷付近(台東区千束四丁目)に移転。これ以前を元吉原、以後を新吉原という。昭和二一年(一九四六)の公娼制度廃止後は、特殊飲食店街のかたちをとり、同三三年の売春防止法施行により消滅した。なか。北国。北里。北郭。北州。
[二] 静岡県富士市の地名。江戸時代は東海道五十三次、原と蒲原との間の宿駅として発達。江戸時代からの製紙業のほか自動車・繊維工業も盛ん。昭和二三年(一九四八)市制。同四一年富士市と合併。
[三] 大阪市北区池田町の北部にあった墓地。
※浮世草子・好色二代男(1684)四「無常野の焼場を、隔夜してまはりけるに、有時吉原(ヨシハラ)の墓より、酒のかほりふかく」
出典:精選版 日本国語大辞典
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吉原
よしわら
①江戸の遊里
②静岡県東部,富士市の一地区
江戸市中に散在する遊女屋を,1617年幕府が日本橋葺屋町に集めさせたのが起源。付近が葭 (よし) の茂る原であったので「吉原」と呼んだ。明暦大火('57)後,浅草千束の新吉原に移転,江戸文化の一中心となった。
江戸時代,東海道五十三次の宿場町として発達。駿河半紙の産地。1948年市制施行,'66年富士市・鷹岡町と合併し富士市となる。
出典:旺文社日本史事典 三訂版
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