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吉川氏【きっかわうじ】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

吉川氏
きっかわうじ
駿河国吉川を本貫地とした藤原氏で,居住地名をとした。承久の乱のによって安芸大朝本荘の地頭職を与えられ,鎌倉時代末期に移住し土着した。毛利元就の子元春を養子として,より一層毛利氏と密接な関係を保つようになり,豊臣秀吉九州征伐には先鋒をつとめた。関ヶ原の戦いでは徳川氏に内通し,毛利氏のために周防,長門2国を確保し,みずからは周防岩国6万石に封じられた。以後,毛利氏の支藩として幕末にいたり,明治になって,初め男爵,のち子爵を授けられた。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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世界大百科事典 第2版

きっかわうじ【吉川氏】
駿河出身の中世武家。姓は藤原,南家武智麻呂の四男乙麻呂の後裔。乙麻呂11代の孫維清は,駿河国入江に住して入江氏を称す。吉川氏の始祖経義は,維清の玄孫で入江の吉川の地に住し,はじめて姓を吉河(または吉香)と称し,源頼朝に従属した。朝経のとき播磨国福井荘を行われた。経光は承久の乱で北条氏に属したが,1221年(承久3)6月の宇治橋の合戦の功により安芸国大朝荘(広島県山県郡)の地頭職に任された。その子経高は1313年(正和2)駿河国入江荘吉川邑より大朝荘に下向した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)

吉川氏
きっかわうじ

鎌倉・室町時代、安芸国(あきのくに)(広島県)の地頭(じとう)。のち毛利(もうり)氏末家、周防国(すおうのくに)(山口県)岩国(いわくに)藩主。藤原氏南家武智麻呂(むちまろ)流為憲(ためのり)の子孫と伝える。平安末期、駿河国(するがのくに)(静岡県)入江庄(いりえのしょう)吉河邑(きっかわむら)に住し氏とした。鎌倉時代の初め友兼(ともかね)は功により播磨国(はりまのくに)(兵庫県)福井庄の地頭職(じとうしき)を受け、その孫経光(つねみつ)は安芸国山県(やまがた)郡大朝庄(おおあさのしょう)の地頭職を得、その子経高に至って1313年(正和2)大朝庄に下向定住し、他の所領を子弟に分与した。それより守護に隷従しない国衆(くにしゅう)として活動したが、戦国時代には大内氏に属した。ついで毛利元就(もとなり)が二男元春を吉川興経(おきつね)の養子に入れて山陰に対する押さえとし、それより代々毛利氏の末家となる。関ヶ原の戦い後、毛利氏削封に伴い岩国3万石を領し、1868年(明治1)初めて大名に列し、岩国藩と称した。

[福尾猛市郎]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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旺文社日本史事典 三訂版

吉川氏
きっかわし
中世,安芸 (あき) 国の豪族。のち周防 (すおう) 岩国の藩主
駿河国入江庄吉川に住み,吉川氏を称す。鎌倉時代,播磨・安芸で地頭職を得,鎌倉末期,安芸に移住,有力な国人となる。経基のとき,応仁の乱に細川勝元の東軍に属して活躍。のち毛利元就 (もとなり) の2男元春を養子とし,小早川家とともに毛利宗家を助けて,「毛利氏の両川 (りようせん) 」と称された。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
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