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吉田稔麿【よしだ としまろ】

デジタル版 日本人名大辞典+Plus

吉田稔麿 よしだ-としまろ
1841-1864 幕末の武士。
天保(てんぽう)12年閏(うるう)1月24日生まれ。長門(ながと)(山口県)(はぎ)藩士松下村塾でまなぶ。吉田松陰死後,脱藩して京都,江戸で尊攘(そんじょう)運動にくわわったが,元治(げんじ)元年6月5日池田屋事件重傷をおい,自刃(じじん)した。24歳。名は秀実。字(あざな)は無逸。通称は別に栄太郎。変名は松村小介など。号は風萍軒。

出典:講談社
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版

よしだとしまろ【吉田稔麿】

出典:株式会社平凡社
Copyright (c) Heibonsha Limited, Publishers, Tokyo. All rights reserved.

日本大百科全書(ニッポニカ)

吉田稔麿
よしだとしまろ
(1841―1864)
幕末期の長州藩士。討幕派として活躍。諱(いみな)は秀実(ひでみ)。父は二人扶持(ぶち)の最下級士であった。吉田松陰(しょういん)の松下村塾(しょうかそんじゅく)で学び、高杉晋作(しんさく)、久坂玄瑞(くさかげんずい)とともに、松下三秀という。師松陰が江戸へ送られたあと、その赦免に努める。松陰刑死後、脱藩して江戸、京都で活躍。帰藩後、1863年(文久3)に屠勇(とゆう)取立方を命ぜられ、被差別部落民による諸隊を組織する。翌年上京し、池田屋で同志と会合中、新選組に襲われ自刃。24歳。墓は、山口県萩(はぎ)市の俊光寺。[広田暢久]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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367日誕生日大事典

吉田稔麿 (よしだとしまろ)
生年月日:1841年1月24日
江戸時代末期の長州(萩)藩士
1864年没

出典:日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」
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