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吐谷渾【とよくこん】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

吐谷渾
とよくこん
Tu-yu-han; T`u-yü-hun
チベットの青海地方に拠った遊牧国。4世紀初頭の中国,晋末の動乱に乗じ,遼西鮮卑の一部が青海地方に移動して勢力を伸ばした。北魏衰勢とともに最盛期を迎え,夸呂 (かろ。 540~591) にいたり,カガンと号し,西はタリム盆地南辺の且末 (しょまつ) ,北は祁連山 (きれんざん) ,南は雪山にいたる地域を支配。貞観9 (635) 年に唐の征討で打撃を受け,663年南方に起った吐蕃に滅ぼされ四散。この国家が 300年も存続したのは,西域と南北朝諸国,柔然と南朝の交易,外交関係の中継から得た莫大な富に基づく。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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デジタル大辞泉

とよくこん【吐谷渾】
中国の五胡十六国時代から代、青海地方にあった遊牧民国家。4世紀初めに鮮卑系の一部がチベット系の土着羌(きょう)族を支配して成立した。663年、吐蕃に滅ぼされた。

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世界大百科事典 第2版

とよくこん【吐谷渾 Tǔ yù hún】
4世紀から7世紀にかけて,中国の青海地域に拠った国。遼東鮮卑の慕容渉帰の子,吐谷渾が陰山に沿って西遷し,4世紀初め隴山(ろうざん)の西に進んだ。その子孫の黄河南部に拠ったのをこの称で呼んだ。河南とも呼ばれ,チベット語では’A zhaといわれる。南西境は四川白蘭と接していた。5世紀前半に王慕利延は北魏に討たれ遠くホータン,カシミールに逃れてそれらの地を荒し,帰るとに朝貢した。以来北魏の圧力を受け,南朝に通じた。

出典:株式会社平凡社
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日本大百科全書(ニッポニカ)

吐谷渾
とよくこん

中国、青海地方の遊牧民族の国。南朝からは河南王に、北魏(ほくぎ)からは西秦(せいしん)王に封じられていた。王族は鮮卑(せんぴ)種の慕容(ぼよう)氏で、民衆はチベット系が主であった。五胡(ごこ)十六国の初期、原住地のシラムレン川辺を離れた鮮卑・慕容部の一支族は、羌(きょう)族、匈奴(きょうど)族などと混血しつつ、モンゴル高原から青海へと移り、西方の一大勢力となり、5世紀前半、慕(ぼかい)のときに最盛期を迎え、南北諸王朝と政治、経済、文化の各方面で密接な関係をもった。6世紀なかばには西方へ進出し、中国と西域(せいいき)間の重要な交易中継者となったが、やがて隋(ずい)の煬帝(ようだい)の大遠征を受け、一時衰えた。しかし隋末の混乱に乗じて再興した。のち、唐建立後は頻繁な交流を保っていたが、634、635両年にわたる唐の大遠征を受け、その羈縻(きび)支配(間接統治)下に入った。やがて当時チベットに興り強大化した吐蕃(とばん)のため、663年に滅ぼされた。670年、唐は吐蕃の進出に対抗し、吐谷渾の故地奪回のために遠征したが敗れ、唐は吐谷渾の遺民を涼州へ、さらに霊州へと移し、安楽州を置いた。しかしふたたび吐蕃の圧力を受け、ついには朔方(さくほう)、河東へと移り、中国内へ混入していった。

[片桐 功]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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精選版 日本国語大辞典

とよくこん【吐谷渾】
中国、五胡十六国時代から唐代まで、青海地方にあった遊牧国家。鮮卑系の王慕容が羌族(きょうぞく)(=チベット人)らを支配。中継貿易、南朝の保護などで栄えたが、六三五年唐に服属し、六六三年吐蕃に滅ぼされた。

出典:精選版 日本国語大辞典
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旺文社世界史事典 三訂版

吐谷渾
とよくこん
4〜7世紀にかけて中国青海地方に存在した国家
王族は鮮卑 (せんぴ) 系,民衆の多くはチベット系とみられる。チベット人はこの国をドルグ(Drug)と呼んだ。五胡十六国時代に西方の一勢力となったが,635年唐に服属し,663年吐蕃 (とばん) に滅ぼされた。

出典:旺文社世界史事典 三訂版
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