●周公【シュウコウ】
デジタル大辞泉
しゅう‐こう〔シウ‐〕【周公】
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世界大百科事典 第2版
しゅうこう【周公 Zhōu gōng】
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日本大百科全書(ニッポニカ)
周公
しゅうこう
生没年不詳。中国、周王朝創業の功臣。紀元前11世紀ごろの人。名は旦(たん)。文王の子。武王を助けて殷(いん)を滅ぼし、武王の没後、幼少で即位した成王の摂政(せっしょう)となったが(あるいは自ら王位についたともいわれる)、これを機に殷の遺民を率いる武庚禄父(ぶこうろくほ)や、周公の弟である管叔(かんしゅく)・蔡叔(さいしゅく)らが反乱を起こした。周公は召公(奭(せき))と協力してこの乱を鎮め、さらに東方地域の大遠征を行った。帰還後、周公は河南の地に新都洛邑(らくゆう)をつくり、東方諸部族支配の要地として自らここに鎮し、摂政7年にして政権を成王に返したという。周公はまた殷族支配のため、紂王(ちゅうおう)の兄、微子啓を殷の故地商丘に封建して宋(そう)公としたり、子の伯禽(はくきん)を魯(ろ)(山東省曲阜(きょくふ))に封ずるなど、王室一族や功臣を要地に封建して周室の守りを固めた。周公はのち忠臣、聖人として尊崇されるようになり、「詩」「書」や青銅器銘文にその功がたたえられている。また礼楽を創始したともいわれ、周の制度を書いた『周礼(しゅらい)』(偽書)もその作として伝えられる。
[宇都木章]
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精選版 日本国語大辞典
しゅう‐こう シウ‥【周公】
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旺文社世界史事典 三訂版
周公
しゅうこう
周王朝を創始した武王の弟
名は旦 (たん) 。文王の子。武王を助けて殷 (いん) を滅ぼし,その死後は幼少の成王をもりたて,洛陽に副都を建設した。殷および東夷 (とうい) の統治に全力をあげ,周朝の基礎を確立。周の礼楽・制度を定めた聖人として,孔子をはじめ儒学者から尊ばれた。
出典:旺文社世界史事典 三訂版
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