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和人地【わじんち】

世界大百科事典 第2版

わじんち【和人地】
松前地,日本人地,シャモ地(人間地とも表記)ともいう。松前藩が蝦夷島統治策の一つとして,和人の定住地,村の所在地と規定した蝦夷島南部の一定地域のこと。和人地以北の地を〈蝦夷地〉(千島・樺太島の一部を含む)と称し,アイヌ民族の居住地とした。こうした地域区分体制は,直接的には松前氏のアイヌ交易独占を実現する方策として成立したものであったが,同時に,幕府(長崎)―オランダ・中国,島津氏(薩摩藩)―琉球,宗氏(対馬藩)―朝鮮,松前氏(松前藩)―蝦夷地(アイヌ民族)という鎖国体制下の〈四つの口〉を介した異域・異国との外交・通交関係を軸とした日本型華夷秩序の一環として位置づけられていたところに大きな特徴がある。

出典:株式会社平凡社
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日本大百科全書(ニッポニカ)

和人地
わじんち
シャモ地、人間地ともいわれ、近世北海道で松前(まつまえ)藩域として道南の渡島(おしま)半島部に設定された領域。時代により推移があるが、17世紀には、松前城下より北方の熊石(くまいし)(八雲町)、東方の亀田(かめだ)(函館(はこだて)市内)が境界で、熊石までを西在(にしざい)、亀田までを東在(ひがしざい)とよんでいた。以遠は蝦夷(えぞ)地とよんで区別し、境界の番所で出入りを規制していた。時期によりアイヌ集落も存在していたが、和人地は日本人の居住地で、松前領民の永住の村落が形成されていた。一方、蝦夷地での日本人の永住は禁止されていた。藩はアイヌ交易を経済基盤の中心としており、交易を独占的に管理するために和人地、蝦夷地は厳格に区分された。松前、江差(えさし)、箱館(はこだて)の沖之口(おきのくち)役所、あるいはこの境界の番所で出入りは厳重に点検された。アイヌの和人地への出入りはとくに強く規制されて、交易に渡来することは厳禁されていた。和人地内の生業は鰊(にしん)漁、昆布(こんぶ)漁などであったが、18世紀末の鰊不漁期以後、西蝦夷地(日本海側)への出漁が盛んになり、蝦夷地での日本人定住のきっかけとなった。しかし和人地、蝦夷地の区分は幕藩制の最後まで明確に保持された。なお19世紀末の東在の範囲は、山越内(やまこしない)(八雲(やくも)町内)まで拡大された。[田端 宏]
『榎森進著『和人地におけるアイヌの存在形態と支配のあり方について』(『蝦夷地・北海道――歴史と生活』所収・1981・雄山閣出版)』

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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