●和学講談所【わがくこうだんしょ】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
和学講談所
わがくこうだんしょ
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デジタル大辞泉
わがく‐こうだんしょ〔‐カウダンシヨ〕【和学講談所】
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世界大百科事典 第2版
わがくこうだんしょ【和学講談所】
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日本大百科全書(ニッポニカ)
和学講談所
わがくこうだんしょ
1793年(寛政5)塙保己一(はなわほきいち)が幕府に申請して創設した学舎。和学ことに国史、律令(りつりょう)を講じ、多くの国書を校訂、編纂(へんさん)した。林大学頭(はやしだいがくのかみ)の支配下に属し、江戸麹町(こうじまち)六番町に用地を給せられて建設、別に町屋敷を下付されてその上納金を諸経費にあてた。そこで保己一は門人の中山信名(のぶな)、屋代弘賢(やしろひろかた)らとともに、以前から着手していた正続1680巻に及ぶ古文献の集大成『群書類従』の収集校訂を続行、また宇多(うだ)天皇即位より徳川家康就任に至る『史料』、武家の制度に関する『武家名目(みょうもく)抄』などの編集に努めた。1821年(文政4)保己一死後は子忠宝(ただとみ)が継ぎ、62年(文久2)忠宝死後はその子忠韻(ただつぐ)が継いでともに講習、編纂事業を続行し、職制なども徐々に整ったが、幕末争乱期に至って事業は衰退、維新となって68年(明治1)6月に廃止され、その史料、稿本類は明治政府の修史局に引き継がれた。しかし、漢学の学問所のみが各地に存在し、また国学としては本居宣長(もとおりのりなが)が全盛であった時代に、このような学問所が開かれた意義は大きく、とくにその修史事業は後世に多大の貢献をなしている。
[和田三三生]
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精選版 日本国語大辞典
わがく‐こうだんしょ ‥カウダンショ【和学講談所】
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旺文社日本史事典 三訂版
和学講談所
わがくこうだんしょ
江戸幕府に懇望して江戸麴町に開設。古代の歴史・律令を講究する研究所と門人を教育する機関としての性格をもっていた。林大学頭の支配下にあり,『群書類従』正続などの編集を行った。
出典:旺文社日本史事典 三訂版
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