@niftyトップ

辞書、事典、用語解説などを検索できる無料サービスです。

和田義盛【わだよしもり】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

和田義盛
わだよしもり
[生]久安3(1147)
[没]建保1(1213).5.3.
鎌倉幕府初代侍所別当。義宗の子。相模国三浦郡和田に住し,源頼朝の挙兵に応じ,叔父三浦義澄のもとで奮戦。治承4 (1180) 年 11月設置された侍所の別当となり,御家人武士の統制にあたった。寿永3=元暦1 (84) 年には平氏追討の源範頼軍に属して中国地方に向い,文治5 (89) 年には頼朝の奥州征伐に従い功を立てた。正治1 (99) 年頼朝が没し,頼家が跡を継ぐと,諸元老有力御家人とともに合議政治に参画。建仁3 (1203) 年実朝擁立を画する北条時政の追討を頼家に命じられたが,時政に内応し,頼家を引退に追込んだ。胤長の陰謀に端を発して挙兵したが,三浦義村の裏切りにあって敗れ一族ともに全滅した。 (→和田合戦 )  

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉

わだ‐よしもり【和田義盛】
[1147~1213]鎌倉初期の武将三浦義明源頼朝兵以来軍功を重ね、幕府初代の侍所(さむらいどころ)別当となった。のち、北条氏謀計により挙兵して敗死和田氏は滅亡した。

出典:小学館
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:田中牧郎、曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル版 日本人名大辞典+Plus

和田義盛 わだ-よしもり
1147-1213 平安後期-鎌倉時代の武将。
久安3年生まれ。三浦義明の孫。椙本義宗(すぎもと-よしむね)の長男相模(さがみ)(神奈川県)三浦郡和田本拠とした。治承(じしょう)4年源頼朝の挙兵に応じ,同年初代侍所別当となる。北条氏排斥計画にくわわった子義直(よしなお),甥(おい)和田胤長(たねなが)に対する北条義時(よしとき)の処罰にいきどおり,一族をあげて挙兵し(和田氏の乱),建暦(けんりゃく)3年5月3日鎌倉由比ケ浜で討ち死にした。67歳。通称は小太郎。官名は左衛門尉。

出典:講談社
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版

わだよしもり【和田義盛】
1147‐1213(久安3‐建保1)
鎌倉前期の武将。三浦義明の嫡男で若死した義宗の長男。母は遊女玉。通称小太郎。相模国三浦郡和田(,神奈川県三浦市)を本居とする。1180年(治承4)三浦一族とともに源頼朝の挙兵に参加,勲功著しいものがあった。同年末の侍所(さむらいどころ)設置にさいし,かねての所望に従って別当に任じられた。その後,西国・奥州遠征にもつねに戦功を立て,90年(建久1)頼朝の上洛に随行,左衛門少尉に任官した。頼朝の信任厚かったが,直情径行で,一時侍所別当の職は能吏梶原景時に奪われた。

出典:株式会社平凡社
Copyright (c) Heibonsha Limited, Publishers, Tokyo. All rights reserved.

日本大百科全書(ニッポニカ)

和田義盛
わだよしもり
(1147―1213)

鎌倉初期の武将。鎌倉幕府初代の侍所別当(さむらいどころべっとう)。義宗(よしむね)の長子で三浦大介義明(みうらおおすけよしあき)の孫。根拠地は相模(さがみ)(神奈川県三浦市)和田。1180年(治承4)頼朝(よりとも)挙兵に際し、叔父の三浦義澄(よしずみ)らとともに大いにこれを助け、同年侍所創設と同時に別当(長官)に任じた。のち平家追討や89年(文治5)の奥州藤原氏征討などにも活躍。訴訟の裁決が重臣13名による合議制となった頼家(よりいえ)の代には、元老の1人として参加した。1203年(建仁3)比企(ひき)氏の乱では北条時政(ときまさ)に加担してこれを討ち、同じく将軍頼家から時政の追討を命じられたとき、北条氏に通じて頼家を退け、実朝(さねとも)を3代将軍に擁立した。しかし13年(建保1)北条氏排斥事件に加わった息子と甥(おい)に対する北条義時の処罰の仕方を憤って挙兵したが利なく、5月3日和田氏は滅亡した。

[三浦勝男]

『高橋恭一著『三浦党と鎌倉武士道』(1942・長谷川書房)』『安田元久著『鎌倉幕府 その実力者たち』(1965・人物往来社)』『若命又男著『和田義盛』(1977・横須賀書籍出版)』

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

精選版 日本国語大辞典

わだ‐よしもり【和田義盛】
鎌倉前期の武将。三浦義明の孫。源頼朝挙兵に応じて戦功をたて、治承四年(一一八〇)初代の侍所別当となる。平家追討・奥州征伐に軍功をあげた。のち北条義時の謀計にかかり北条氏を襲撃して敗死。久安三~建保元年(一一四七‐一二一三

出典:精選版 日本国語大辞典
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

旺文社日本史事典 三訂版

和田義盛
わだよしもり
1147〜1213
鎌倉前期の武将。侍所の初代別当(長官)
三浦義明の孫。源頼朝の挙兵に三浦一族とともに参加し,平氏追討・奥州征討に武功をたて重んじられた。侍所設置とともに初代別当となり,頼朝死後も幕政の合議に参画。1213年,他氏排斥による勢力拡大をはかっていた北条氏の挑発にのり鎌倉で挙兵したが敗れ,義盛以下,一族も多く滅亡した(和田合戦)。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
執筆者一覧(50音順)
金澤利明 竹内秀一 藤野雅己 牧内利之 真中幹夫
 
Copyright Obunsha Co.,Ltd. All Rights Reserved.
それぞれの項目は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

和田義盛」の用語解説はコトバンクが提供しています。

和田義盛の関連情報

関連キーワード

ムラービト朝パナマ正法眼蔵平宗盛マウルブロン修道院源有仁源頼朝大部荘十字軍

他サービスで検索

(C)The Asahi Shimbun Company /VOYAGE MARKETING, Inc. All rights reserved.
No reproduction or republication without written permission.

アット・ニフティトップページへ アット・ニフティ会員に登録

ウェブサイトの利用について | 個人情報保護ポリシー
©NIFTY Corporation