●唐招提寺【とうしょうだいじ】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
唐招提寺
とうしょうだいじ
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デジタル大辞泉
とうしょうだい‐じ〔タウセウダイ‐〕【唐招提寺】
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デジタル大辞泉プラス
唐招提寺
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世界大百科事典 第2版
とうしょうだいじ【唐招提寺】
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日本大百科全書(ニッポニカ)
唐招提寺
とうしょうだいじ
奈良市五条町にある律宗総本山。本尊は盧舎那仏(るしゃなぶつ)。756年(天平勝宝8)、聖武(しょうむ)・孝謙(こうけん)両上皇の勅願により来朝した唐僧過海(かかい)大師鑑真和上(がんじんわじょう)が新田部(にいたべ)親王の旧宅を譲り受けて建立した寺で、戒壇(かいだん)を設け律宗の根本道場とした。初めは唐律招提寺(とうりつしょうだいじ)、唐寺(とうじ)、律寺などと称され、延喜(えんぎ)式十五大寺、南都七大寺の一つに数えられた。759年(天平宝字3)「唐招提寺」の勅額が下賜されたが、その勅文には、「招提是諸寺本寺十方僧依所、日域七衆根本寺、故號唐招提寺」とあり、四方僧坊の義をとり、諸寺の根本とした。以後、天皇・皇后以下百官も皆ここで受戒し、帰依(きえ)も厚かった。『大般若経(だいはんにゃきょう)』『金光明(こんこうみょう)経』を読ませ、鎮護国家金光明建初律唐招提寺と号したこともあった。王朝とともに隆盛を極めていた唐招提寺はやがて勢力を失い、平安末期には興福寺(法相(ほっそう)宗)の末寺となった。その後、嘉禎(かてい)年間(1235~1238)覚盛上人(かくじょうしょうにん)が中興第1世となって戒律を復興し寺域を整えたが、ふたたび戦国の兵乱、地震による倒壊などで衰えた。江戸時代に徳川5代将軍綱吉(つなよし)、その生母桂昌院(けいしょういん)らの帰依により大規模な修理がなされた。1900年(明治33)独立して律宗総本山となる。
[里道徳雄]
文化財
金堂、講堂、経蔵・宝蔵は奈良時代、鼓楼(ころう)は鎌倉時代の建物で、おのおのたびたび修補を経ているが、創建当初の姿をよく伝え、国宝に指定されている。金堂は鑑真の弟子如宝(にょほう)(?―815)の建立と伝える。正面7間、側面4間の単層寄棟(よせむね)造で、前面の1間は吹流しの形式をとり、太いエンタシスの柱が屋根を支える。大棟(おおむね)東西端の鴟尾(しび)のうち西側のものは創建当初のもの。堂内には本尊盧舎那仏像をはじめ、薬師如来(にょらい)、千手観音(せんじゅかんのん)、梵天(ぼんてん)・帝釈天(たいしゃくてん)、四天王の立像(いずれも奈良時代、国宝)を安置している。講堂は平城京の東朝集殿(ひがしちょうしゅうでん)を移築したものといい、天平(てんぴょう)の宮殿建築の唯一の遺構。もと開山堂にあった鑑真和上坐像(ざぞう)(奈良時代、国宝)は、1964年(昭和39)移建された旧一乗院宸殿(しんでん)(国重要文化財)の御影堂(みえいどう)に安置されている。像は脱乾漆造で、法隆寺夢殿の行信僧都(ぎょうしんそうず)の像とともに日本の肖像彫刻中の最高傑作、最古の遺品として名高い。そのほか、木造大悲菩薩(だいひぼさつ)像(覚盛上人像)、紙本着色東征(とうせい)絵巻5巻、絹本着色大威徳明王(だいいとくみょうおう)像、絹本着色十六羅漢(らかん)像(以上、重文)、鑑真が唐より将来した舎利を納める舎利容器1具(国宝)、持国天、増長天、薬師如来など6体の木造立像(りゅうぞう)がまとめて1件の国宝とされるなど、多くの文化財を蔵している。また境内の西に石造3段の戒壇がある。もと覆堂があったが、嘉永(かえい)年間(1848~1854)に焼失、現在は戒壇上に1980年(昭和55)建造の宝塔が建つ。唐招提寺は1998年(平成10)、世界遺産の文化遺産として登録された(世界文化遺産。奈良の文化財は東大寺など8社寺等が一括登録されている)。
なお、5月19日に鼓楼で行われる「うちわまき」はよく知られている。
[里道徳雄]
『安藤更生著「唐招提寺」(『美術文化シリーズ 74』1963・中央公論美術出版)』▽『徳田明本著『唐招提寺』(1973・学生社)』▽『『古寺巡礼 奈良 9 唐招提寺』(1979・淡交社)』▽『浅井和春著「唐招提寺」(『名宝日本の美術 7』1980・小学館)』
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事典 日本の地域遺産
唐招提寺
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精選版 日本国語大辞典
とうしょうだい‐じ タウセウダイ‥【唐招提寺】
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旺文社日本史事典 三訂版
唐招提寺
とうしょうだいじ
759年鑑真建立説と,鑑真没後弟子たちの建立説とがある。平安初期まで隆盛であった。金堂・講堂は天平時代の建築の代表的遺構で,同時代の仏像も多く残っている。『鑑真和上像』は数少ない奈良時代の肖像彫刻の一つとして有名。
出典:旺文社日本史事典 三訂版
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