●善阿【ぜんな】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
善阿
ぜんな
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デジタル大辞泉
ぜんな〔ゼンア〕【善阿】
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus
善阿 ぜんあ
連歌の先駆者で,建治(けんじ)2年(1276)連歌式目「建治式」の制定に参加。正和(しょうわ)元年京都嵯峨(さが)の法輪寺で千句興行をおこなう。救済(ぐさい)らおおくの弟子をそだて,南北朝時代の連歌隆盛のもとをきずいた。二条良基(よしもと)撰の「菟玖波(つくば)集」に32句えらばれている。名は「ぜんな」ともよむ。
出典:講談社
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世界大百科事典 第2版
ぜんな【善阿】
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日本大百科全書(ニッポニカ)
善阿
ぜんあ
生没年未詳。鎌倉末期の連歌師。1312年(正和1)の法輪寺千句に、弟子の順覚、信昭とともに臨み、すでに相当な高齢だったと考えられる。京の法輪寺や鷲尾(わしのお)での花(はな)の下(もと)連歌の宗匠で、その門下に順覚、信昭、十仏(じゅうぶつ)、救済(きゅうせい)らが輩出し、地下(じげ)連歌の興隆に尽くした。とくに、救済が二条良基と結んで連歌を大成することにより、善阿らの地下連歌が連歌の主流を占めることとなった。建治(けんじ)の新式を実際に制定したのは善阿だといわれ、『連葉集』という句集があったが、散逸。『菟玖波(つくば)集』には32句入集。
[島津忠夫]
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