●善【ぜん】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
善
ぜん
agathos; bonum; good; das Gute; bien
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デジタル大辞泉
ぜん【善】
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ぜん【善】[漢字項目]
[学習漢字]6年
1 行いや性質などが好ましい。よい。よいこと。「善意・善行・善政・善人・善良/改善・勧善・偽善・最善・慈善・次善・十善・追善・独善・不善・性善説」
2 物事にうまく対処する。よく。「善処・善戦・善後策」
3 仲良くする。「善隣/親善」
[名のり]ただし・たる・よし
[難読]善知鳥(うとう)
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世界大百科事典 第2版
ぜん【善】
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日本大百科全書(ニッポニカ)
善
ぜん
good 英語
bon フランス語
das Gute ドイツ語
広義には、肯定的評価の対象となる価値をもつものがすべて善である。しかし、狭義には、行為および意志の規定根拠が善である。この二義はときとして混同され、多くのものが「善(よ)い」とよばれる。たとえば、すべて「値うちのあるもの」は「善いもの」である、といわれるが、この意味では「見るによいもの」も、「用いるによいもの」も、なんらかの意味では善である。しかし、それらは「美」であり、「有用なもの」であって、本来の意味では「善」ではない。善は本来の意味では、これらの値うちのあるものにかかわる行為が選択される場合の根拠なのである。したがって、善は本来、行為外的に、事物に付着する性質として、「観照」の対象をなすものではなく、行為内的に、意識の自己還帰を構成契機とする「実践」の場面において、実践を成立させる根拠として自覚されるものである。一つの行為は多くの可能な行為のなかから、「いま、なすべきもの」として選び取られるが、この選択の根拠が善である。したがって、善は自由において自覚されるものであって、自由の根拠である。
[加藤信朗]
善と福
古代ギリシア・ローマでは、善を意味するagathon(ギリシア語)、bonum(ラテン語)という語は善の両義を意味しながら、広義の善への傾きをもっていた。この意味での善は、悪kakon(ギリシア語)、malum(ラテン語)に対するとき、禍、不幸に対する福、幸を意味した。しかし、ソクラテスが「不正を蒙(こうむ)るほうが不正をなすよりも善い」と述べ、これを自分の死をもって証明したときに、善の本性は明らかにされた。以後、善は「見えぬもの」であり、不可視な魂が自分自身を善いものとしようとする能動的な配慮において、内的に魂にかかわるものとなる。プラトンとアリストテレスの倫理学はこの問題状況において成立した。同じように、カントも広義の善との関係で成立する「目的倫理学」を退け、善は意志に対して、「汝(なんじ)いつもこれをなすべし」という絶対的な命令(定言命法)という形で迫る普遍的法則として把握されるとした。したがって、真の意味で「善いもの」はただ一つ、善を意志する善意志だけである。意志に対して迫るこの無条件な命令をなんとするかによって、いろいろの倫理学が生じるのである。
[加藤信朗]
悪と悪の存在
悪evil(英語)、mal(フランス語)、Übel(ドイツ語)は善に対立する。したがって、否定的評価の対象となるものがすべて悪である。それゆえ、「みにくいもの(醜)」も「有害なもの」もなんらかの意味では「悪いもの」である。だが、善についてと同じように、本来の意味で「悪」といえるものは、「善なる行為」を退ける意志だけである。
そこから、「悪」の存在をめぐって古来二つのパラドックスが生ずる。一つは「だれも自ら進んで悪人たろうとする者はない」というソクラテスのパラドックスである。意志が本来善に向けられているとすれば、善を退けて悪を選ぶ意志はないと考えられるからである。とすれば、世に本来の意味での「悪人」はいないことになる。もう一つは「悪の起源」をめぐるパラドックスである。一般に古代では、悪の起源は形相の完全な実現を許さない質料の粗悪さに求められた。だが、至善なる創造者による世界の創造を信条とするキリスト教にとって、この世界に内在する悪の事実は説明しがたいものであった。創造主に悪の起源を求めることはできない(神は善なるものだから)。他方に、創造主に対立する悪神にも(神は唯一だから)、粗悪な質料にも(神は万物の創造主だから)悪の起源を求めることはできない。ここにキリスト教の弁神論の問題があった。
アウグスティヌスは、悪がそのもの自体として独立には存在しないこと、悪は存在を前提にしてその否定としてのみ存すること(悪の非存在性)、したがって、善なるものとしてつくられた意志が自己自身の置かれた秩序に離反すること(意志の反逆)としてのみ悪が存すること、この意志の反逆(罪)もそこから帰結する当然の報いとしての罰によって償われ、意志の回心をもたらすよすがとなること、こうして、悪もまた善なる神の経綸(けいりん)(摂理)の内に置かれていることを示して、悪の存在を説明した。
[加藤信朗]
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精選版 日本国語大辞典
ぜん【善】
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よかれ【善】
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