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喜多流【きたりゅう】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

喜多流
きたりゅう
能楽のシテ方流儀流祖喜多七太夫徳川秀忠庇護のもとに,元和5 (1619) 年頃一流の創設を認められて,従来の四座の太夫並みの扱いを受けた。寛永4 (27) 年頃から北七太夫と名のり,流派喜多流または七太夫流といわれたが,四座と区別して,四座一流と称された。今日では五流の一つ。紀州藩芸州藩のおかかえで,14代将軍家茂が紀州から出るに及び勢いをふるったが,明治維新により没落した。現宗家 16世喜多六平太 (1924~ ) は 15世喜多実長男一門に熊本出身の友枝家,広島出身の粟谷家などがある。東京目黒に喜多能楽堂をもち,機関誌に『喜多』がある。

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朝日新聞掲載「キーワード」

喜多流
徳川時代に将軍家によって、いわゆる大和四座(観世宝生、金春、金剛)以外に設立を許された流派。現宗家は16世。宗家に伝わる能面は、初代以来使われているものもあるという。
(2006-06-02 朝日新聞 朝刊 3社会)

出典:朝日新聞掲載「キーワード」

デジタル大辞泉

きた‐りゅう〔‐リウ〕【喜多流】
能のシテ方の流派の一。喜多七大夫が興したもので、江戸初期、元和5年(1619)ごろに幕府から認められた新興の流派。

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世界大百科事典 第2版

きたりゅう【喜多流】
能のシテ方の流派名。江戸初期に一流樹立を許された新興流派。流祖の北七大夫長能(ながよし)(1586‐1653)は,の眼医者の子で,幼少のころから能に巧みであった。7歳で器用に能を舞ったことから〈七ツ大夫〉と呼ばれた天才。豊臣氏の後援金剛座に加えられ,10歳の1595年(文禄4)には金剛方七ツ大夫として記録に見え,十代で金剛大夫弥一の養子となったらしく,元服後,金剛三郎を名のり,金剛大夫として活躍した。

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

きたりゅう【喜多流】
能楽シテ方五流の一。1619年頃、喜多七太夫長能ながよしが始める。七太夫流。

出典:三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)

喜多流
きたりゅう
能の一流派。シテ方五流の一つ。江戸初期の1619年(元和5)ごろに幕府によって認められた新興の流儀なので、座としての専属のワキ方、囃子(はやし)方をもたず、南北朝以来の四座(観世、金春(こんぱる)、宝生(ほうしょう)、金剛)と区別して四座一流(よざいちりゅう)とよばれた。流祖は金剛の大夫(たゆう)も継いだことのある喜多七大夫(しちたゆう)。徳川秀忠(ひでただ)、家光(いえみつ)の七大夫びいきに倣って、各藩も多く喜多流を用い、幕末には29藩に及ぶほどであった。3世喜多宗能(むねよし)は能に耽溺(たんでき)した将軍綱吉(つなよし)の指南役であった。9世喜多古能(このう)は『寿福抄』ほか著書も多い。12世喜多能静(のうせい)は徳川家茂(いえもち)の後援でその勢力を誇り、井伊直弼(いいなおすけ)、山内容堂(ようどう)、藤堂(とうどう)高潔ら大藩の当主が喜多流を学んだが、明治維新後は逼塞(ひっそく)した。能静の養子勝吉が離縁のあと、能静の外孫喜多六平太(ろっぺいた)が1881年(明治14)7歳で14世を継ぎ、不抜の努力と比類ない名技によって流儀を再興した。
 15世宗家喜多実(みのる)は六平太の養子で、その子に喜多長世(ながよ)、節世(さだよ)、その兄に人間国宝の後藤得三(とくぞう)がいる。古くから喜多流の地盤であった熊本出身の友枝(ともえだ)家、広島出身の粟谷(あわや)家など人材が多い。東京・目黒の喜多六平太記念能楽堂を拠点とし、機関誌『喜多』をもつ。後進の養成に積極的で優秀な若手が多く、学生層への普及運動や、土岐善麿(ときぜんまろ)と喜多実のコンビによる新作能活動の実績、1954年(昭和29)の初の渡欧能など、進取の気に富む流儀。いまも武家式楽風のおもかげが色濃く、気迫を重んじ、直線的な芸風である。16世宗家は喜多長世が継承。六平太を襲名。[増田正造]
『表章著『喜多流の成立と展開』(1994・平凡社)』

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精選版 日本国語大辞典

きた‐りゅう ‥リウ【喜多流】
〘名〙 能楽五流の一派。近世初期、元和四年(一六一八)に喜多七太夫のはじめたもの。七太夫はもと金春(こんぱる)流の門人で、豊臣秀吉に仕えた武士であったが、秀吉没後は役者として徳川秀忠に仕えて一流を立てた。のちに、観世、宝生、金春、金剛の四座のほかに一流としてみとめられた。喜多。
※洒落本・通言総籬(1787)二「きたりうのでんがく扇にて、夕日をよけながら」

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