●団扇【ウチワ】
デジタル大辞泉
うち‐わ〔‐は〕【団=扇】
1 あおいで風を起こす道具。ふつう、細く削った竹の骨に紙や絹を円形に張って作る。《季 夏》「もてなしの―の風のやや及ぶ/汀女」
2 軍配団扇(ぐんばいうちわ)のこと。
3 紋所の名。1を図案化したもの。丸に団扇、桑名団扇などがある。
出典:小学館
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だん‐せん【団扇】
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とっさの日本語便利帳
団扇
出典:(株)朝日新聞出版発行「とっさの日本語便利帳」
日本文化いろは事典
団扇
日本大百科全書(ニッポニカ)
団扇
うちわ
夏季などにあおいで涼をとったり、かざして強い日差しを避けるために用いる道具。一般に円形が多いが、渋団扇や京団扇、軍配団扇のように変形のものもある。中国では、紀元前3世紀以前の周代より使われ、漢代には支配者の権威を表す小道具の一つにも数えられていた。六朝(りくちょう)や唐代に入るといろいろな種類が現れ、なかには七輪扇(しちりんおうぎ)といって風車のように回して涼をとる道具さえ現れた。
日本へは奈良時代に中国から伝わり、当時の宮廷や貴族の間で使用されたことが、正倉院の遺物からもうかがえ、これには団扇を持った当時の婦人の姿も刻まれている。平安時代になると折り畳める扇が考案されたが、『病草紙(やまいのそうし)』のなかには蒲葵扇(びろうおうぎ)を持っている下級武士がみられる。当時のものは多くが円形であったため、この形のものが一般化して「団扇」という文字が定着していった。さらに応仁(おうにん)・文明(ぶんめい)(1467~1487)以後の乱世になると、武将が部下を叱咤(しった)激励するための、皮革や鉄でつくった軍配団扇が用いられるようになった。扇面に朱漆、金銀で日、月、星や文字を描き、柄(え)には組紐(くみひも)を通した。後の相撲の行司が土俵上で用いる軍配は、ここからきている。江戸時代以降もっとも普及したのは、納涼のための竹骨・紙張りの絵団扇で、宮崎友禅斎(ゆうぜんさい)(友禅染の創始者)の衣装雛型(ひながた)本のなかに団扇の絵雛型が記されるほど、当時の生活用具として発展していた。ことに夏祭や盆踊りには欠かせないもので、夏になると団扇売りの行商人が町をにぎわした。浮世絵には、夕涼みに団扇を持った女性の夏姿などがさまざまに描かれている。役者絵をはじめ錦絵(にしきえ)入りの団扇は、当時32文が相場であったが、銀でつくった小さな鈴虫をつけ、あおぐたびに虫の音を楽しむというぜいたくなものや、絹団扇、表面に漆を塗り、水をつけて用いる水団扇(岐阜団扇)、あるいは堅牢(けんろう)を目的とした火おこし用の渋団扇、町火消が延焼を防ぐための、火の粉を払う長い柄の大団扇なども出てきた。
一方信仰用具として、修験者(しゅげんじゃ)の間では法貴扇(ほっきせん)や天狗(てんぐ)の団扇が使われ、これらは沖縄の巫女(みこ)の間でも使われた。民間では東京・府中の大国魂(おおくにたま)神社から出される烏(からす)団扇、あるいは同じ東京の日野の高幡(たかはた)不動の絵団扇など、家の門口にさして火災除(よ)けのまじないとした。また春日(かすが)神社の奈良団扇が社家でつくられ、山口県熊毛(くまげ)地方の獣皮張りの団扇は、農具として唐箕(とうみ)や脱穀器のかわりに用いられた。備中(びっちゅう)(岡山市)産の夏川(撫川(なつかわ))団扇は、柄を立てるとそのまま立っており、これであおぐ風は当たりが軟らかいという。名古屋の熱田(あつた)神宮の社家でつくる団扇は、奈良団扇をまねたものだが、これは宮団扇といわれた。
[遠藤 武]
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精選版 日本国語大辞典
だん‐せん【団扇】
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