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国分寺【こくぶんじ】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

国分寺
こくぶんじ
栃木県南部,下野市西部の旧町域。下野平野中部にあり,小山市の北に接する。 1954年国分小金井町として町制ののち,国分寺町に改称。 2006年石橋町,南河内町と合体して下野市となった。開発が古く,西部に国の史跡下野国分寺跡下野国分尼寺跡があり,尼寺跡は公園となった。中心地区は小金井で,化学繊維,麦芽の加工工業が行なわれる。町並みの南端にある小金井一里塚も国指定史跡。周辺はかんぴょう産地

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国分寺
こくぶんじ
香川県中部,高松市西部の旧町域。高松平野の北西部に位置し,本津川沿岸の低地周囲に五色台の一峰をなす大平山,孤立丘の伽藍山,六ツ目山,鷲ノ山,火ノ山などが連なる。 1955年端岡村と山内村が合体して町制。 2006年高松市に編入四国八十八ヵ所第 80番札所である国分寺の境内にある讃岐国分寺跡は国の特別史跡,付近の讃岐国分尼寺跡も国の史跡に指定されている。産業は農業が中心で,マツなど盆栽の特産地でもある。五色台南西端の国分台には2万~3万年前の讃岐岩製の打製石器多数が出土した遺跡がある。大平山付近は瀬戸内海国立公園に属する。

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国分寺
こくぶんじ
奈良時代,聖武天皇によって天平 13 (741) 年諸国建立された寺。正しくは,僧寺金光明四天王護国之寺,尼寺を法華滅罪之寺という。国分寺は国府の近くに,国分尼寺の音の聞えるところにおかれた。釈迦如来像本尊とし,僧寺には,七重塔を設けて『金光明経』を,尼寺には『法華経』をおき,別に天皇書写になる金字の『最勝王経』を納めた。これは,入唐留学僧玄 昉進言によって,中国の制度を模したものであるが,当時の社会不安や疫病の流行などによって,建立の詔が出されたものと思われる。平安時代中期以降には国分寺の多くは廃絶したが,残ったものも本来の姿は失われた。

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朝日新聞掲載「キーワード」

国分寺
聖武天皇が741(天平13)年に発した「国分寺建立の詔(みことのり)」により全国60余国に建立された官立の寺隠僧寺と尼寺があり、武蔵国分寺跡と尼寺跡(いずれも国史跡)は、国分寺崖線の南側に両方とも良好に保存されている。
(2013-11-02 朝日新聞 朝刊 多摩 1地方)

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デジタル大辞泉

こくぶん‐じ【国分寺】
天平13年(741)聖武天皇勅願により、国分尼寺とともに国ごとに建立された官寺。正式には金光明四天王護国之寺という。国内の僧尼監督に当たり、また朝廷の特別の保護があった。奈良東大寺総国分寺とする。こくぶじ。

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こくぶんじ【国分寺】[地名]
東京都中部の市。住宅地として発展武蔵国国分寺跡がある。市街地には湧水清流が残っている。人口12.1万(2010)。

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こくぶ‐じ【国分寺】

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防府市歴史用語集

国分寺
 741年の聖武天皇[しょうむてんのう]の命によって、全国に造られました。「国分寺」というと主に「国分僧寺[こくぶんそうじ]」を指します。境内[けいだい]に七重塔が建てられ、僧20人がいました。

出典:ほうふWeb歴史館
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デジタル大辞泉プラス

国分寺
△徳島県徳島市国府町▽にある曹洞宗寺院山号は法養山、本尊は薬師如来。四国八十八ヶ所霊場第15番札所。「阿波国分寺」ともいう。庭園は国指定名勝。境内は「阿波国分寺跡」として県の史跡に指定。

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国分寺
△高知県南国市▽にある寺院。「土佐国分寺」ともいう。真言宗智山派。山号は摩尼山院号宝蔵院。本尊は千手観世音菩薩。四国八十八ヶ所霊場第29番札所。境内は「土佐国分寺跡」として国の史跡に指定。金堂梵鐘などは国の重要文化財。庭園は杉苔が美しく「土佐の苔寺」の異名もある。

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国分寺
△愛媛県今治市▽にある寺院。「伊予国分寺」ともいう。天正年間、聖武天皇の勅願による創建と伝わる。真言律宗。山号は金光山、院号は最勝院。本尊は薬師瑠璃光如来。四国八十八ヶ所霊場第59番札所。境内東方にある「伊予国分寺塔跡」は国指定史跡。

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国分寺
△香川県高松市国分寺町国分▽にある真言宗御室派の寺院。山号は白牛山、院号は千手院。本尊は十一面千手観世音菩薩。四国八十八ヶ所霊場第80番札所。聖武天皇の国分寺建立の詔により建立された国分寺のひとつ。本堂は国の重要文化財、境内・周辺地を含む旧讃岐国分寺寺域は国の特別史跡に指定。

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世界大百科事典 第2版

こくぶんじ【国分寺】
奈良・平安時代に諸国に置いた官寺。僧寺を金光明(こんこうみよう)四天王護国之寺(金光明寺),尼寺(国分尼寺)を法華滅罪之寺(法華寺)と呼び,合わせて国分二寺という。 国分寺制は,7世紀末より促進されてきた護国経典の読誦によって国家の安寧を祈る仏教政策の総仕上げであり,中央の大寺で展開した国家仏教の画一的な地方伸展の意義をもつが,直接的には律令体制の根幹をゆるがす疫病,飢饉反乱などの災いを,《金光明最勝王経(最勝王経)》の鎮護国家思想で消除しようと図ったものである。

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

こくぶんじ【国分寺】
741年、聖武天皇の勅願により、国ごとに建てられた官寺。正式には僧寺を金光明四天王護国之寺、尼寺を法華滅罪之寺といい、奈良の東大寺を総国分寺、法華寺を総国分尼寺とした。普通には僧寺をさす。

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こくぶんじ【国分寺】
東京都中部、武蔵野台地にある市。市南部に武蔵国分寺跡がある。住宅地として発展。
栃木県南部、下野しもつけ市の地名。カンピョウの産地。下野国分尼寺跡がある。
香川県中央部、高松市の地名。本津ほんづ川上流域に位置する。讃岐さぬき国分寺、国分尼寺跡がある。

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精選版 日本国語大辞典

こくぶ‐じ【国分寺】
[1] 〘名〙 =こくぶんじ(国分寺)(一)〔日葡辞書(1603‐04)〕
[2]
[一] 高知県南国市国分にある真言宗智山派の寺。山号は摩尼山。天平一三年(七四一)聖武天皇の勅願により創建された国分寺の一つ。紀貫之ゆかりの寺として知られる。四国八十八所の第二九番札所。
[二] 香川県綾歌郡国分寺町にある真言宗御室派の寺。山号は白牛山。天平九年(七三七)行基の草創とも、同一三年天武天皇の詔により建立された国分寺の一つともいう。四国八十八所の第八〇番札所。国分の観音。

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こくぶん‐じ【国分寺】
[1] 〘名〙 聖武天皇が天平一三年(七四一)三月二四日詔して、諸国に造営させた官寺(「続日本紀」が天平一三年とするのは天平一〇年の誤りとする辻善之助の説がある)。僧寺と尼寺とがあり、通常は僧寺(金光明四天王護国之寺)を指すが、広義には国分尼寺(法華滅罪之寺)をも含めていう。国分寺創建は四天王が来て護国にあたる趣旨の金光明最勝王経の信仰に基づく事業であったが、精神界を国家的に統一する目的もあった。創建当時の建築で残っているものはないが、遺跡は全国に散在する。こくぶじ。
※続日本紀‐天平一三年(741)正月丁酉「三千戸施入諸国国分寺、以充丈六仏像之料
[2]
[一] 東京都のほぼ中部、武蔵野台地にある地名。武蔵国国分寺があった。礎石が史跡として残っている。第二次大戦後、東京のベッドタウンとして都市化が進んだ。昭和三九年(一九六四)市制。
[二] 栃木県南部の地名。下野国国分寺・国分尼寺があった。かんぴょう、桑苗の産地。

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旺文社日本史事典 三訂版

国分寺
こくぶんじ
741年,聖武天皇の勅願により,鎮護国家の目的で諸国に建てられた寺院
僧寺と尼寺がある。僧寺では七重塔1基を造り『金光明最勝王経』を安置し,金光明四天王護国之寺と名づけ,尼寺には『妙法蓮華経』を置かせ,法華滅罪之寺と名づけた。また両寺に水田各10町を与え,僧寺には20僧,尼寺には10尼を配置した。尼寺の規模は僧寺より小さい。国分寺には僧官が置かれて国司の監督のもとに寺務をとり,一国の僧尼を監督した。さらに講師が置かれ,講説読経にあたった。ほぼ全国的に置かれたと考えられる。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
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