●国性爺合戦【こくせんやかっせん】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
国性爺合戦
こくせんやかっせん
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デジタル大辞泉
こくせんやかっせん【国性爺合戦】
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世界大百科事典 第2版
こくせんやかっせん【国性爺合戦】
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日本大百科全書(ニッポニカ)
国性爺合戦
こくせんやかっせん
浄瑠璃義太夫節(じょうるりぎだゆうぶし)。時代物。5段。近松門左衛門作。1715年(正徳5)11月大坂・竹本座初演。正保(しょうほう)(1644~48)のころ、明(みん)国人鄭芝龍(ていしりょう)と日本人の間に生まれた鄭成功(ていせいこう)が、明朝回復に尽力した事跡を脚色。主人公和藤内(わとうない)は混血児で、和人でも唐人でもないという意味の名、国性爺は国から性(姓)を賜ったとの意である。
初段―明の思宗烈(しそうれつ)皇帝は逆臣李蹈天(りとうてん)の内通により韃靼(だったん)軍に攻め滅ぼされるが、忠臣呉三桂(ごさんけい)は誕生した太子を守って落ち延び、皇妹栴檀女(せんだんじょ)は小舟に乗って逃れる。二段(鴫蛤(しぎはまぐり)・虎(とら)狩り)―明の旧臣鄭芝龍は九州・平戸に亡命して老一官(ろういっかん)と名のっていた。彼と日本人との間に生まれ成人した和藤内が、浜で鴫と蛤の争いを見て軍法を悟るところへ、栴檀女の舟が流れ着く。和藤内は故国を救うため父母とともに明へ渡り、千里ヶ竹では襲ってきた猛虎(もうこ)を伊勢(いせ)神宮のお札の威徳で従える。三段(楼門)―一官は妻や和藤内と、先妻の娘錦祥女(きんしょうじょ)を妻とする将軍甘輝(かんき)を獅子(しし)ヶ城に訪ね、味方を頼むが、甘輝が不在なので、母ひとり縄にかかって城内へ入る。同(紅(べに)流し・甘輝館)―いまは韃靼に従う甘輝は、帰館して母の頼みを承諾しようと思うものの、妻の縁で裏切ったという不名誉を恐れ、錦祥女を刺そうとするが、母は継娘(ままむすめ)をかばって殺させない。錦祥女はやむなく破談を城外の和藤内に知らせるため、しるしの紅を泉水に流す。和藤内が怒って城内へ入ると、錦祥女は自害した自分の血だと打ち明け、夫に父や義弟への味方を願う。妻の心に打たれた甘輝は和藤内を国性爺と崇(あが)めて味方を誓い、母は自害して息子たちを励ます。四、五段―国性爺と甘輝は、九仙山で幼君を守護していた呉三桂と協力して韃靼軍と李蹈天を討伐、明国は再興する。
新奇でエキゾチックな題材と雄大な構成が喜ばれ、初演のときは3年越し17か月のロングランを記録。翌年(1716)秋には歌舞伎(かぶき)にも移され、以後人形浄瑠璃と両方で繰り返し上演されてきた。歌舞伎では和藤内を荒事(あらごと)演出で完成させ、ことに三段目「紅流し」で激怒して花道を入るところが見せ場。「楼門」では錦祥女、後の「甘輝館」では甘輝と和藤内の母を中心に、義理と人情の絡み合いが近松独特の名文で描かれている。
[松井俊諭]
『守随憲治・大久保忠国校注『日本古典文学大系50 近松浄瑠璃集 下』(1959・岩波書店)』▽『原道生著『鑑賞日本の古典16 近松集』(1982・小学館)』
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精選版 日本国語大辞典
こくせんやかっせん【国性爺合戦】
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歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典
国性爺合戦
こくせんやかっせん, こくせんやがっせん
- 作者
- 近松門左衛門(1代)
- 補作者
- 福岡弥五四郎 ほか
- 初演
- 享保1.秋(京・万太夫座)
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旺文社日本史事典 三訂版
国性爺合戦
こくせんやかっせん
「国姓爺合戦」とも書く。1715年竹本座初演。5段。鄭成功 (ていせいこう) の史実をもとに脚色。唐人を父,日本人を母にもつ和藤内 (わとうない) が明国の回復をはかるという筋。その題材の新奇さと規模の雄大さに特色があり,時代物浄瑠璃として未曽有の成功をおさめた。
出典:旺文社日本史事典 三訂版
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