@niftyトップ

辞書、事典、用語解説などを検索できる無料サービスです。

土岐頼貞【とき よりさだ】

デジタル版 日本人名大辞典+Plus

土岐頼貞 とき-よりさだ
1271-1339 鎌倉-南北朝時代の武将。
文永8年生まれ。父は土岐光定,母は北条貞時の娘。足利尊氏(たかうじ)にしたがい室町幕府創設に参画。美濃(みの)(岐阜県)守護となり,以後土岐氏が代々美濃守護となる基をきずいた。歌人としても知られ,「玉葉和歌集」などに歌をのこす。暦応(りゃくおう)2=延元4年2月22日死去。69歳。通称は隠岐(おき)孫二郎。

出典:講談社
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版

ときよりさだ【土岐頼貞】

出典:株式会社平凡社
Copyright (c) Heibonsha Limited, Publishers, Tokyo. All rights reserved.

日本大百科全書(ニッポニカ)

土岐頼貞
ときよりさだ
(1271―1339)
鎌倉後期~南北朝時代の武将。光貞(みつさだ)(光定)の子として土岐氏惣領(そうりょう)を継ぐ。『太平記』には日野資朝(ひのすけとも)が倒幕のために引き入れようとした武将の1人で、1324年(正中1)の正中(しょうちゅう)の変に一族とともに後醍醐(ごだいご)天皇方として蜂起(ほうき)をねらったが失敗したと描かれている。しかし、『尊卑分脈(そんぴぶんみゃく)』『大日本史』などによれば、正中の変のときに滅ぼされたのは、頼貞の子頼兼とされている。彼自身は南北朝内乱期に足利尊氏(あしかがたかうじ)に従い多くの戦功をあげ、それにより美濃(みの)国守護となる。その後一日市場(ひといちば)館(岐阜県瑞浪(みずなみ)市土岐町)を中核として美濃国の支配を行う。弓馬に秀(すぐ)れ、歌もよくした人物であったという。39年(延元4・暦応2)2月22日没。[小林一岳]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

土岐頼貞」の用語解説はコトバンクが提供しています。

土岐頼貞の関連情報

関連キーワード

忽必烈・忽比烈元(中国の王朝)湛睿水石中国地方後醍醐天皇後醍醐天皇神皇正統記異国警固番役

他サービスで検索

「土岐頼貞」のスポンサー検索

(C)The Asahi Shimbun Company /VOYAGE MARKETING, Inc. All rights reserved.
No reproduction or republication without written permission.

アット・ニフティトップページへ アット・ニフティ会員に登録

ウェブサイトの利用について | 個人情報保護ポリシー
©NIFTY Corporation