●土御門殿【ツチミカドドノ】
デジタル大辞泉
つちみかど‐どの【土御門殿】
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世界大百科事典 第2版
つちみかどどの【土御門殿】
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日本大百科全書(ニッポニカ)
土御門殿
つちみかどどの
平安時代中期の邸宅で上東門第(じょうとうもんてい)、京極殿(きょうごくどの)ともいう。平安京左京1条4坊つまり高級住宅域に所在し、藤原道長の栄華の舞台となった邸宅。道長は源倫子(みなもとのりんし)との結婚により取得、当初は1町の広さであったものを南北2町に拡大した。一条天皇中宮の長女彰子(しょうし)、三条天皇中宮の次女妍子(けんし)ら倫子腹の4人の娘と彼女たちが産んだ後一条・後朱雀(ごすざく)・後冷泉(ごれいぜい)の3天皇もこの家で生まれ、のちにはこの3天皇の里内裏(さとだいり)にもなった。隣家の火事で類焼した土御門殿は2年後の1018年(寛仁2)に受領(ずりょう)たちの奉仕で再建され、必要な家具調度の一切を美濃守源頼光が寄進した。その年の10月16日、後一条天皇(母は彰子)に入っていた女御の威子(いし)(三女。倫子腹)が中宮となり(太皇太后彰子、皇太后妍子、皇后威子と三后(さんこう)を道長は娘で独占)、その祝宴が新邸で行われた。皓々と照る満月を見ながら酔い気分の道長は「この世をば我が世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば」と詠んだ(『小右記』(しょうゆうき))。1週間後には三后と後一条天皇・東宮(とうぐう)(のちの後朱雀天皇)が顔をそろえ道長を喜ばせた。
[朧谷 寿]
『太田静六著『寝殿造の研究』(1987・吉川弘文館)』▽『朧谷寿著『平安貴族と邸第』(2000・吉川弘文館)』
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つちみかど‐どの【土御門殿】
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