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土御門殿【ツチミカドドノ】

デジタル大辞泉

つちみかど‐どの【土御門殿】
京都土御門大路の南、京極の西にあった藤原道長。しばしば里内裏となった。上東門第。京極殿(きょうごくどの)。御堂殿(みどうどの)。
土御門内裏(つちみかどだいり)

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世界大百科事典 第2版

つちみかどどの【土御門殿】
藤原道長の邸宅の一つであり,土御門京極殿上東門第,京極殿とも呼ばれた。平安京の土御門大路南,京極大路西に所在し,東西1町,南北2町の地を占めた。この邸はもと土御門左大臣源雅信の邸であり,雅信の女倫子と道長が結婚したところから倫子の住む土御門殿に道長が同居し,道長の地位,権勢の上昇とともにその本邸として重要な位置を占めるようになった。道長の女彰子(一条天皇后,上東門院)の里御所に土御門殿が用いられ,彰子所生の後一条,後朱雀両天皇がこの邸で誕生している。

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日本大百科全書(ニッポニカ)

土御門殿
つちみかどどの

平安時代中期の邸宅で上東門第(じょうとうもんてい)、京極殿(きょうごくどの)ともいう。平安京左京1条4坊つまり高級住宅域に所在し、藤原道長の栄華の舞台となった邸宅。道長は源倫子(みなもとのりんし)との結婚により取得、当初は1町の広さであったものを南北2町に拡大した。一条天皇中宮の長女彰子(しょうし)、三条天皇中宮の次女妍子(けんし)ら倫子腹の4人の娘と彼女たちが産んだ後一条・後朱雀(ごすざく)・後冷泉(ごれいぜい)の3天皇もこの家で生まれ、のちにはこの3天皇の里内裏(さとだいり)にもなった。隣家の火事で類焼した土御門殿は2年後の1018年(寛仁2)に受領(ずりょう)たちの奉仕で再建され、必要な家具調度の一切を美濃守源頼光が寄進した。その年の10月16日、後一条天皇(母は彰子)に入っていた女御の威子(いし)(三女。倫子腹)が中宮となり(太皇太后彰子、皇太后妍子、皇后威子と三后(さんこう)を道長は娘で独占)、その祝宴が新邸で行われた。皓々と照る満月を見ながら酔い気分の道長は「この世をば我が世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば」と詠んだ(『小右記』(しょうゆうき))。1週間後には三后と後一条天皇・東宮(とうぐう)(のちの後朱雀天皇)が顔をそろえ道長を喜ばせた。

[朧谷 寿]

『太田静六著『寝殿造の研究』(1987・吉川弘文館)』『朧谷寿著『平安貴族と邸第』(2000・吉川弘文館)』

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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精選版 日本国語大辞典

つちみかど‐どの【土御門殿】
藤原道長の邸。土御門大路の南、東京極大路の西に位置した。上東門第。京極殿。
※紫式部日記(1010頃か)寛弘五年秋「秋のけはひ入立つままに、土御かと殿の有さまいはむ方なくをかし」

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