●土木の変【どぼくのへん】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
土木の変
どぼくのへん
Tu-mu; T`u-mu
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デジタル大辞泉
どぼく‐の‐へん【土木の変】
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世界大百科事典 第2版
どぼくのへん【土木の変】
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日本大百科全書(ニッポニカ)
土木の変
どぼくのへん
中国、明(みん)の正統(せいとう)帝がオイラート部長エセンと1449年土木(河北省)で戦い、捕虜となった事件。1440年ごろオイラート部長となったエセンは太師淮王(たいしわいおう)と称し、元(げん)の後裔(こうえい)トクタ・ブハをハンにいただき、全モンゴルを支配し、女直(じょちょく)を抑え、貿易上の紛争から1449年、大同(山西省)を略奪した。正統帝は親征し、大同に至ったが、形勢不利とみて引き返す途中、土木でオイラート軍と戦って大敗し、帝は捕虜となった。エセンは有利な条件で送還しようとしたが、明では景泰帝をたて、正統帝を上皇としたので、エセンは怒り、進んで北京(ペキン)を包囲した。しかし明は譲らなかったのでエセンは退却し、翌年正統帝を無条件で送還した。
[青木富太郎]
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精選版 日本国語大辞典
とぼく‐の‐へん【土木の変】
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旺文社世界史事典 三訂版
土木の変
どぼくのへん
エセンは英宗の帰還を代償に有利な和議を結ぼうとしたが,景宗の即位で失敗し,翌年英宗を送還した。
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