●土肥実平【どひさねひら】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
土肥実平
どひさねひら
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デジタル大辞泉
どひ‐さねひら【土肥実平】
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus
土肥実平 どひ-さねひら
中村宗平(むねひら)の子。相模(さがみ)(神奈川県)土肥郷の地頭。治承(じしょう)4年(1180)源頼朝の挙兵に応じ,石橋山の戦いに敗れた頼朝の危急をすくう。平氏追討に功をたて,備前,備中(びっちゅう),備後(びんご)の惣追捕使(のちに守護)に任じられた。通称は次郎。
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土肥実平 どい-さねひら
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世界大百科事典 第2版
どひさねひら【土肥実平】
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日本大百科全書(ニッポニカ)
土肥実平
どいさねひら
生没年不詳。平安末・鎌倉初期の武将。本来は「どひさねひら」と読む。平高望(たかもち)の後裔(こうえい)、中村荘司宗平(むねひら)の息。相模(さがみ)国足下(あしのしも)郡土肥郷(神奈川県湯河原(ゆがわら)町、真鶴(まなづる)町)を本拠とし土肥次郎と称す。1180年(治承4)源頼朝(よりとも)の挙兵に参加、石橋山(いしばしやま)の敗戦後、頼朝を真鶴岬から安房(あわ)に逃し、再起のもとをつくった。以来頼朝に重用され、佐竹(さたけ)氏・木曽義仲(きそよしなか)・平氏征討に奮戦。84年(元暦1)には備前(びぜん)・備中(びっちゅう)・備後(びんご)国の惣追捕使(そうついぶし)に任ず。翌年平氏が壇ノ浦に滅ぶと、捕虜平宗盛(むねもり)らを京都に護送、源義経(よしつね)没落直後の洛中(らくちゅう)警衛の任にもあたったが、91~95年(建久2~6)に死亡した。
[杉橋隆夫]
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精選版 日本国語大辞典
どひ‐さねひら【土肥実平】
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