●垂仁天皇【すいにんてんのう】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
垂仁天皇
すいにんてんのう
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デジタル大辞泉
すいにん‐てんのう〔‐テンワウ〕【垂仁天皇】
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus
垂仁天皇 すいにんてんのう
父は崇神(すじん)天皇。母は御間城姫(みまきひめ)。「日本書紀」によると,都は纏向(まきむく)の珠城(たまきの)宮。伊勢(いせ)に斎宮をたて,殉死を禁止して埴輪(はにわ)に代えさせ,農業のために池や溝800余をつくり,田道間守(たじまもり)に不老長寿の非時(ときじく)の香菓(かぐのみ)(橘)をもとめさせたという。垂仁天皇99年7月1日死去。140歳。墓所は菅原伏見東陵(すがわらのふしみのひがしのみささぎ)(奈良市)。別名は活目入彦五十狭茅天皇(いくめいりびこいさちのすめらみこと)。
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世界大百科事典 第2版
すいにんてんのう【垂仁天皇】
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日本大百科全書(ニッポニカ)
垂仁天皇
すいにんてんのう
皇室系譜に第11代と伝える天皇。『日本書紀』によれば、国風諡号(しごう)は活目入彦五十狭茅尊(いくめいりひこいさちのみこと)。崇神(すじん)天皇の第3子で、母は御間城姫(みまきひめ)。垂仁元年即位、初めの皇后狭穂姫(さぼひめ)は兄狭穂彦の謀反の際に自殺、同15年に丹波道主王(たにはのちぬしのおおきみ)の女(むすめ)日葉酢媛命(ひばすひめのみこと)を皇后とした。纏向(まきむく)(奈良県桜井市の北部)の珠城宮(たまきのみや)に都し、同99年、140歳(『古事記』では153歳)で没して菅原伏見陵(すがはらのふしみのみさざき)に葬られたという。
[星野良作]
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精選版 日本国語大辞典
すいにん‐てんのう ‥テンワウ【垂仁天皇】
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