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埋蔵文化財【まいぞうぶんかざい】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

埋蔵文化財
まいぞうぶんかざい
土地に埋蔵されている文化財。埋蔵文化財の調査のため土地発掘しようとする者は,文化財保護法により文化庁長官に届け出なければならず,また土木工事その他の調査以外の目的で,埋蔵文化財を包蔵する土地として周知されている土地を発掘しようとする場合にも届け出が必要とされる (57条,57条の2) 。このほか,土地の所有者などが出土品出土などにより遺跡と認められるものを発見したときは,現状を変更することなく,その旨文化庁長官に届け出ることが義務づけられている (57条の5) 。出土した埋蔵文化財については,提出鑑査,報償金などの特別措置が規定されているほか (60~64条) ,遺失物法の規定の適用がある。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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デジタル大辞泉

まいぞう‐ぶんかざい〔マイザウブンクワザイ〕【埋蔵文化財】
土地に埋蔵されている文化財文化財保護法により、所有者が判明しない場合は国庫に帰属し、発見者および土地の所有者には価格に相当する報償金が支給される。

出典:小学館
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世界大百科事典 第2版

まいぞうぶんかざい【埋蔵文化財】
土地に埋蔵された状況にある文化財をいう。それには,河川湖沼,海などの水中にあるもの,あるいは地表面に露呈しているものも含まれる。1950年に施行された文化財保護法にみえる概念で,考古学でいう遺構と遺物をほぼ指しているとみてよい。その所在地は埋蔵文化財包蔵地と呼ばれ,おおよそ考古学の遺跡に相当する。ただし,施行当初の同法では,埋蔵された有形文化財すなわち遺物にあたるもののみに限定されており,現在のように遺構や遺跡にも関連する用語になったのは54年の同法改正による。

出典:株式会社平凡社
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日本大百科全書(ニッポニカ)

埋蔵文化財
まいぞうぶんかざい

埋蔵文化財とは地中に埋没して遺存する文化財の意で、考古学上の遺跡とそこに埋まっている遺物を包括した概念である。法律用語の埋蔵文化財包蔵地は遺跡と同義と考えてよい。現在各都道府県では教育委員会の責任において遺跡地図を公刊し、埋蔵文化財包蔵地の周知に努めているが、その総数は全国で約44万か所に達するとみられている。旧石器時代から中・近世までの長期間にわたって各時代の遺跡が高密度に分布し、各地の地域史を系統的に跡づけることが可能なこと、保存状態の良好な遺跡が予想以上に多いことなどは日本の特色である。また新たな遺跡の発見が続き、絶えず遺跡数が増大し遺跡地図が書き換えられていることも留意するべき点である。かつては水田遺跡といえば静岡県の登呂(とろ)遺跡だけだったのが、1976年(昭和51)以降福岡県から青森県までの各地でそれぞれ特色ある弥生(やよい)水田が次々に発見され、すでに20か所以上に達しているのは、その一例である。

 1950年(昭和25)の文化財保護法制定以前には史跡名勝天然記念物保護法によって史跡に指定された少数の遺跡を除くすべての遺跡は法的な保護の対象外に置かれていた。文化財保護法は、動産的文化財である土器、石器などの遺物を有形文化財のなかに、不動産的文化財である貝塚、古墳などの遺跡を記念物のなかに位置づけて初めて保護の対象であることを明示した。これらの遺跡と遺物は一体となって土地に埋没していて、発掘や土木工事による破壊にさらされていることから、これを保護するうえで埋蔵文化財という両者を包括した概念が採用されたのである。当時は第二次世界大戦後の考古学ブームによる乱掘が大きく問題にされていた関係で、当初の保護法では、学術目的による「埋蔵物たる文化財の発掘」に対する届出義務と、それに対する政府の禁止、中止命令権が規定された。しかし当時にあっても遺跡破壊の主要な原因は土木工事にあり、1954年の一部改正で、土木工事についても学術発掘に準じた届出制が定められた。同時に保護の対象をそれまでの「埋蔵物たる文化財」から「埋蔵文化財包蔵地」と改め、守らなければならないのが遺跡である土地そのものであることが明確にされた。

 高度経済成長期を迎えた1960年代になると、開発による遺跡の破壊は深刻な社会問題となり、1962年の平城宮跡保存運動を画期として研究者・市民による文化財保存運動が全国各地で発展した。埋蔵文化財という耳慣れないことばもこうしたなかで国民の間に定着していった。遺跡保存のよりどころである保護法は、土木工事に対しては届出を義務づけているが、学術発掘に対しては設けられている中止・禁止の規定がなく、罰則も1万円以下の罰金という軽さで規制力に乏しいという弱点があり、当初は笊法(ざるほう)などといわれていた。しかし保存の世論の高まりと、それにこたえる行政指導の強化が相まって「周知の埋蔵文化財包蔵地」の開発にかかわる届出義務はしだいに広く遵守されるようになった。これに対する行政指導は破壊を前提にした事前調査の指示にとどまるのが一般であったが、事前調査によって重要性が明らかになった結果、計画を変更して史跡指定、公有地化が行われた事例も少なくない。このような保存のパターンが実現するうえで、当該遺跡の価値を評価した地域住民、全国的な保存世論の高まりが大きな推進力となった。

 1960年代後半には文化財保護運動は自然環境を守る住民運動と結合して大きく発展し、大きな広がりをもった遺跡や遺跡群を緑地として保存することに成功した事例も各地にみられるようになった。こうした運動を通じて埋蔵文化財が地域住民の生きた歴史学習の場であるとともに、自然地形や植生と一体となった地域の歴史的環境としてかけがえのないものであることが広く認識されるようになった。しかし開発計画を変更して保存された事例は全体のなかではきわめてまれな例であり、埋蔵文化財問題の主要な側面は、緊急調査を前置した遺跡の大量爆破の進行にあるといわざるをえない。土木工事に伴う発掘届の件数は、年々急上昇を続け、1960年には年間143件であったものが1985年には1万6024件、1996年(平成8)には約3万件、2005年には3万4785件、2015年には5万3875件に達した。届出数は実際の調査・破壊数と直結するものではないが、日本の埋蔵文化財の危機を示す指標として深刻に受け止めなければならない。また、緊急発掘調査費の総額は、1985年度は472億1648万円であったが、1997年のピーク時には1321億2800万円に達した。その後は減少し、2005年では763億7500万円、2015年には599億5000万円となった(1997年以降は国庫補助約30億円を含む)。なお、公的な保護発掘調査機関として1970年以降、国・県・市各級の埋蔵文化財センターが次々に設立され発掘調査体制は整備強化されたが、遺跡破壊自体を抑止する有効な対策はみいだされていない。許可制を柱とした法改正による規制の強化、発掘費の原因者負担制度の再検討、埋蔵文化財を緑地として大幅に保全する地域計画の策定など、埋蔵文化保存の抜本的な対策が必要である。

[甘粕 健]

『文化庁文化財部著『埋蔵文化財発掘調査の手びき』21版(2006・国土地理協会)』

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精選版 日本国語大辞典

まいぞう‐ぶんかざい マイザウブンクヮザイ【埋蔵文化財】
〘名〙 埋蔵物である文化財。所有者が判明しないときは国庫に帰属し、発見者や土地の所有者には報償金が支給される。〔文化財保護法(1950)〕

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