@niftyトップ

辞書、事典、用語解説などを検索できる無料サービスです。

堀景山【ほりけいざん】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

堀景山
ほりけいざん
[生]元禄1(1688).京都
[没]宝暦7(1757)
江戸時代中期の朱子学者。名は正超,通称は禎助,字は彦昭,君燕。医師堀玄達の子。父に朱子学,医学を学ぶ。広島藩に出仕。子弟の教育に努め,門人本居宣長らが輩出した。著書『不尽』。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル版 日本人名大辞典+Plus

堀景山 ほり-けいざん
1688-1757 江戸時代中期の儒者。
元禄(げんろく)元年生まれ。堀杏庵(きょうあん)の曾孫堀南湖(なんこ)の従弟。京都の人。父玄達(げんたつ)から儒学,医学をまなぶ。安芸(あき)広島藩主浅野吉長(よしなが)の側儒となり,京都に在住のまま広島におもむいて進講した。本居宣長(もとおり-のりなが)を宝暦2年より数年間,自宅にすまわせて儒学をおしえた。宝暦7年9月19日死去。70歳。名は正超。字(あざな)は彦昭,君燕。通称は禎助。

出典:講談社
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版

ほりけいざん【堀景山】
1688‐1757(元禄1‐宝暦7)
江戸中期の儒医。名は正超,字は彦昭,君燕,通称は禎助。景山は号。京都の人。藤原惺窩の高弟堀杏庵の曾孫にあたる。父玄達のもとで儒学と医学を修め,広島藩に仕えた。朱子学派の儒者であったが,古学派の荻生徂徠と親交を結び,古文辞論をたたかわせた。また契沖の学問を尊敬し,彼の著書を刊行した。本居宣長の儒学の師としても知られる。著書に《不尽言》など。【石毛 忠】

出典:株式会社平凡社
Copyright (c) Heibonsha Limited, Publishers, Tokyo. All rights reserved.

日本大百科全書(ニッポニカ)

堀景山
ほりけいざん
(1688―1757)

江戸中期の医師、儒学者。堀杏庵(きょうあん)の曽孫(そうそん)。堀玄達(げんたつ)の子。京都に生まれる。名は正超、字(あざな)は彦昭、君燕(くんえん)、号は景山。父に医学を学び、また儒学もよくした。1719年(享保4)広島藩主浅野吉長(あさのよしなが)(1681―1752)の側儒となり200石を受け、京都と広島の間を往復した。景山は医に長じていたため、医の修業に京都へ出てきた本居宣長(もとおりのりなが)を1752年(宝暦2)に住居させ、景山が私淑(ししゅく)した契沖(けいちゅう)の『万葉代匠記』や荻生徂徠(おぎゅうそらい)の古文辞(こぶんじ)を教示し、宣長を国学に転向せしめる契機となった。宝暦(ほうれき)7年没。70歳。

[今中寛司 2016年7月19日]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

堀景山」の用語解説はコトバンクが提供しています。

堀景山の関連情報

関連キーワード

井原西鶴元禄ジェームズフリードリヒウィルヘルム検地ジェームズ[2世]メアリー[2世]高橋安之丞幇間友禅

他サービスで検索

(C)The Asahi Shimbun Company /VOYAGE MARKETING, Inc. All rights reserved.
No reproduction or republication without written permission.

アット・ニフティトップページへ アット・ニフティ会員に登録

ウェブサイトの利用について | 個人情報保護ポリシー
©NIFTY Corporation