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堂島【どうじま】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

堂島
どうじま
大阪市区,福区にまたがる堂島川右の地区。 JR大阪駅の南西に位置する。かつては堂島川とその分流の曾根崎川にはさまれた中州で,貞享年間 (1684~88) には新地ができ,遊郭が設けられた。のち堂島米市場がおかれ,米市が立つようになってから,諸藩蔵屋敷が集り,全国の米価を支配する商業の町に発展した。現在は銀行,会社,新聞社などの高層ビルが立並び,大阪の経済,文化の一中心地となっている。

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デジタル大辞泉

どうじま〔ダウじま〕【堂島】
大阪市北区の地名。もと中之島と並ぶ島で、は堂島川、北は明治期に埋め立てられた曽根崎川に接していた。元禄年間(1688~1704)に米市場が開かれて以来、大阪の経済の中心地。→
堂島下駄」の

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世界大百科事典 第2版

どうじま【堂島】
大阪市北区内の地名で,堂島川北岸一帯をいう。もと曾根崎川(蜆川)と堂島川とにはさまれた砂州で,広い意味の天満(てんま)に含まれる。地名の由来については,(1)四天王寺玉造の岸に創建したとき,風波によって御堂用材がこの地に流れついたため,(2)あらかじめ堂の用材を置いたところ,(3)流水南北に分かれて,その中にあるため胴島といい,転じて堂島となったという説のほか,(4)二つの川()にはさまれた地であるため,にたとえて筒島(どうじま)といい,それが転化したものとも伝える。

出典:株式会社平凡社
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日本大百科全書(ニッポニカ)

堂島
どうじま

大阪市北区南西部の一地区。淀(よど)川の分流堂島川と、もと曽根崎川(そねざきがわ)(蜆(しじみ)川。明治期に埋立て)に挟まれた中州であった。貞享(じょうきょう)年間(1684~1688)曽根崎川改修後に開発され、1697年(元禄10)淀屋橋から米市場(米会所)が移ってから諸藩の蔵屋敷が並んだ。現在はNTT、毎日新聞社、堂島アバンザ、近鉄堂島ビルなどの高層ビルが林立するビジネス街で、地下街は大阪駅に続いている。

[樋口節夫]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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精選版 日本国語大辞典

どうじま ダウじま【堂島】
[1] 〘名〙
① 江戸吉原で、遊女が道中の際にはいた桐製の駒下駄。
※随筆・柳花通誌(1844)道中長柄傘駒下駄の始「遊女都てむかしは草履をはきしに、中古角町菱屋権右衛門方の芙蓉といへる女郎伊達を好み、道中のせつ日和にても駒下駄をはきし也。〈略〉、この駒下駄を堂島といふ」
※咄本・新板一口ばなし(1839)四「相場仕がせり合うて、堂島でたたいた」
[2]
[一] 大阪市北区の西部から福島区の東部にまたがる堂島川北岸の地名。江戸初期に堂島新地ができ、遊女の町として発展。元祿一〇年(一六九七)ここに米市場が移されてから諸藩の蔵屋敷が置かれ、米市がたち、現在まで、大阪の経済の中心をなしている。
※雑俳・水加減(1817)「立て置く・日本の脉のうつ堂島」

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