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士禍【しか】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

士禍
しか
sahwa
朝鮮,朝鮮王朝 (李朝) 前期,新旧官僚間に起った一連の抗争をいう。代表的なものとして,戊午,甲子,己卯 (きぼう) ,乙巳 (いつし) の四大士禍がある。燕山君4 (1498) 年の戊の士禍は『成宗実録』編纂の史草問題で金宗直一派の士林が柳子光らの讒言にあい,処刑された。同 10年の甲子の士禍は,宮廷の側近勢力が廃妃追崇問題で勲旧派と金宗直一派を粛清した。中宗 14 (1519) 年の己卯の士禍は,偽勲削除問題を機に南袞らによって,趙光祖一派の士林が死刑,流配された。明宗1 (45) 年の乙巳の士禍は,王位継承を問題にして,大尹一派が小尹一派の手で処刑された。これらの士禍の口実国王,王后に対する礼,君主に対する忠誠を問題にしている点は共通している。また闘争の主体は単なる宮廷内部の少人数の陰謀ではなく,おのおの党派を基礎にした多人数の公然たる論議を伴った争いであった。この士禍は官僚層の権力争奪であるが,その背景に土地・奴婢所有をめぐる階層間の抗争があった。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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世界大百科事典 第2版

しか【士禍】
朝鮮,李朝中期に勲旧派(中央貴族層=既成官僚)が士林派(在地両班(ヤンバン)層=新進官僚)に対し,4回にわたって行った大弾圧。(1)1498年(燕山君4,戊午)の〈戊午士禍〉。成宗は勲旧派を牽制するため士林派を登用したが,成宗が死んで燕山君が即位すると,勲旧派は反撃に転じ,成宗実録の編纂に際して士林派の史官(金馹孫)が師(金宗直)の〈弔義帝文〉を草稿に入れたことを,〈項羽の義帝廃弑になぞらえた世祖非難である〉とし,これを口実に1498年,士林派に死刑,流刑罷免の大弾圧を加えた。

出典:株式会社平凡社
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