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夏(中国最古の王朝)【か】

日本大百科全書(ニッポニカ)

夏(中国最古の王朝)

中国で殷(いん)王朝より以前に存在したとされている最古の王朝。夏、殷、周の3王朝をあわせて「三代」とよび、旧中国では諸制度の整った理想的な時代とされていた。殷に先だつ王朝として夏が存在した可能性は十分にあるが、現在のところ、その都がどこにあったかは定説がない。近年、河南省の登封(とうほう)市の「王城崗(おうじょうこう)」遺跡が、禹(う)の都した陽城の跡だとする説が出されているが、異論も多い。『史記』の「夏本紀」が伝えるところによると、夏王朝の始祖禹は黄河の洪水を治めるのに献身的に努力し、その功により、舜(しゅん)の死後、諸侯から推されて天子となった。禹は自分も禅譲の原則により民間から賢者を選んで天子の位を譲ろうとしたが、諸侯は禹の子啓(けい)を後嗣(こうし)として推戴(すいたい)し、それ以後子孫が相次いで天子となったという。17代目の履癸(りき)すなわち桀(けつ)に至って、政治が暴虐を極めたため、民心を失い、殷の湯(とう)王によって攻め滅ぼされた。

 周代には、夏后(かこう)氏の子孫は河南省東部の杞(き)国に封じられたが、「夏」という称号は、「華夏」「諸夏」などと熟して「中華」文化を共有する諸侯を総称する際に用いられた。『史記』の「匈奴(きょうど)列伝」では、匈奴の先祖も夏后氏とされている。この伝説を受けて、五胡(ごこ)十六国時代に長安を中心に建国した匈奴の赫連(かくれん)氏は、国号を「大夏」と名のった(407~431)。

 さらにその数百年後、チベット系タングート出身の李元昊(りげんこう)が興慶府(寧夏回族(ねいかかいぞく)自治区の銀川(ぎんせん))に建てた政権も、「大夏」と号した(1038~1227)。これは普通「西夏」とよばれる国家で、宋(そう)王朝の北西辺にあって東西貿易の利によって栄え、のちモンゴル勢力によって滅ぼされた。

[小倉芳彦]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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