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大伴氏【おおともうじ】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

大伴氏
おおともうじ
古代の有力貴族の一つ。 (かばね) は連,のちに宿禰大和朝廷下では力があり,4~5世紀頃にはすでに軍事的にすぐれた氏族であった。6世紀に大伴金村が出て,欽明天皇宮廷で勢威をふるったが,物部氏によって失脚させられた。諸所に大伴部を設置して氏族全体を支え,壬申の乱に勇戦,天武天皇の宮廷で,大いに復興した。しかし,藤原不比等,武智麻呂などの台頭により,旅人,家持 (歌人) などは苦境に立つことが多く,官も不遇となった。平安時代初期の弘仁 12 (821) 年,淳和天皇の諱大伴を避けて,氏を「」と改めた。伴善男大納言にまで進んだが,応天門の変で失脚して以来急速に一族衰え,わずかに天慶年間 (938~947) に伴保平が参議となった程度である。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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世界大百科事典 第2版

おおともうじ【大伴氏】
日本古代の中央有力豪族。姓は連(むらじ)で,684年(天武13)以後宿禰(すくね)となった。伴(とも)は朝廷の各種の職務を世襲的に奉仕する集団で,大伴とは,伴の大いなる者,あるいは多くの伴を支配する伴造(とものみやつこ)のであろう。記紀の伝承では,天孫降臨おり,遠祖天忍日命(あめのおしひのみこと)が武装して先導し,神武東征のおりにも,遠祖日臣命(道臣命)が大和への道を先導したという。おそらく4~5世紀の大和政権の発展期に,朝廷の諸機能にたずさわる伴の管理者として成長し,ことに軍事的統率者として頭角を現したものと思われる。

出典:株式会社平凡社
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日本大百科全書(ニッポニカ)

大伴氏
おおともうじ
5世紀から9世紀にかけて繁栄した有力氏族。天孫瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の先駆を務めた天押日命(あめのおしひのみこと)の後裔(こうえい)と伝える神別氏族で、初め連(むらじ)姓、684年(天武天皇13)宿禰(すくね)姓を賜う。物部(もののべ)氏とともに大和国家(やまとこっか)の軍事を担当し、政治面でも活躍した。記紀、『古語拾遺(こごしゅうい)』その他によれば、高皇産霊尊(たかみむすひのみこと)の子(一説に5世孫)が天押日命、その3世孫が神武(じんむ)東征の先導を勤めた道臣命(みちのおみのみこと)、さらにその7世孫が雄略(ゆうりゃく)~武烈(ぶれつ)5朝の大連(おおむらじ)室屋(むろや)(これ以降実在の人物)で、彼の代から靭負(ゆげい)3000を率いて宮門を警護することが世職となったという。室屋の孫金村(かなむら)も武烈~欽明(きんめい)の5朝に大連として歴仕し、武烈の意を受けて大臣(おおおみ)平群真鳥(へぐりのまとり)父子を誅殺(ちゅうさつ)し、武烈なきあとには越前(えちぜん)から継体(けいたい)を迎立して大和朝廷に重きをなした。しかし対朝鮮政策につき、物部尾輿(おこし)の非難攻撃を受けて政界を引退するのやむなきに至り、大伴氏の勢力はようやく衰退に向かった。大化(645~650)のころ長徳(ながとこ)が右大臣となり、さらに壬申(じんしん)の乱に大海人皇子(おおあまのおうじ)方についた馬来田(まくた)・吹負(ふけい)・御行(みゆき)らが家運を挽回(ばんかい)し、8世紀には安麻呂(やすまろ)、旅人(たびと)、家持(やかもち)ら多くの高官を出したが、新興貴族藤原氏の進出に押されてしだいに後退した。とくに785年(延暦4)藤原種継(たねつぐ)暗殺事件の首謀者として家持が生前の官位をことごとく剥奪(はくだつ)されるに及んで急速に衰えた。823年(弘仁14)大伴親王(淳和(じゅんな)天皇)の諱(いみな)を避けて伴(とも)氏と改めたが、866年(貞観8)応天門(おうてんもん)の変で大納言(だいなごん)伴善男(とものよしお)が失脚するに至って、大伴氏は政界中枢から完全にその姿を没した。[黛 弘道]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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旺文社日本史事典 三訂版

大伴氏
おおともうじ
古代の中央豪族
姓 (かばね) は連 (むらじ) ,のち宿禰 (すくね) 。大連 (おおむらじ) として国政に参与し,大和政権の軍事を担当した。6世紀,継体天皇を擁立した金村のとき全盛期を迎えたが,527年金村が任那 (みまな) 4県を百済 (くだら) に与える失政により失脚し,以後衰退した。奈良時代の旅人 (たびと) ・家持 (やかもち) は歌人として有名。平安時代,淳和天皇の名が「大伴皇子」であったので伴氏と改めた。承和の変・応天門の変などで藤原氏に敗れ没落した。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
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