@niftyトップ

辞書、事典、用語解説などを検索できる無料サービスです。

大倉喜八郎【おおくら きはちろう】

美術人名辞典

大倉喜八郎
実業家。新潟県生。大倉千之助の三男は鶴彦。明治新政府の御用商人として活躍し、対支事業にも力を出した。また渋沢栄一と東京商法会議所を設けた。大倉財閥の創設者。昭和3年(1928)歿、92才。

出典:(株)思文閣

デジタル大辞泉

おおくら‐きはちろう〔おほくらキハチラウ〕【大倉喜八郎】
[1837~1928]実業家。新潟の生まれ。江戸で乾物店・銃砲店を開業、明治6年(1873)に大倉組商会を創立。の御用商人として巨利を得、大倉財閥を形成した。

出典:小学館
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:田中牧郎、曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル版 日本人名大辞典+Plus

大倉喜八郎 おおくら-きはちろう
1837-1928 明治-大正時代の実業家。
天保(てんぽう)8年9月24日生まれ。江戸で銃砲店を開業,戊辰(ぼしん)戦争で新政府軍に武器をうり巨利をえた。明治6年大倉組商会を設立し,大正にはいって大倉財閥の体制を確立した。東京電灯,大日本麦酒(ビール),帝国ホテルなど数おおくの会社設立に関与。大倉商業学校(現・東京経済大),大倉集古館を創設した。昭和3年4月22日死去。92歳。越後(えちご)(新潟県)出身。
【格言など】私は商人でございます。金を儲けるのが仕事でございます(新政府軍に鉄砲を売ったことを難詰されて)

出典:講談社
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版

おおくらきはちろう【大倉喜八郎】
1837‐1928(天保8‐昭和3)
実業家。大倉財閥の創設者。越後国新発田(しばた)の商家に生まれ,18歳の時,商売で身を立てようと江戸に出て鰹節店店員となる。1867年(慶応3)に神田和泉橋通に銃砲店を開業し,幕末・維新の動乱を利用して販路を拡大した。明治維新後は欧米の経済社会を視察したうえ,73年に大倉組商会を設立して外国貿易および用達事業に乗り出し,政治家や軍部と結びつき,台湾出兵,西南戦争,日清戦争,日露戦争の軍需物資調達や輸送で巨利を得た。

出典:株式会社平凡社
Copyright (c) Heibonsha Limited, Publishers, Tokyo. All rights reserved.

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

大倉喜八郎
おおくらきはちろう
[生]天保8(1837).9.24. 新発田
[没]1928.4.5. 東京
明治・大正期の実業家,大倉財閥の創設者。新潟の農家に生れ,江戸に出て商家に奉公し,慶応1 (1865) 年独立して銃砲店を開いたが,たまたま明治維新に際会して大当りをとり,政府からその存在を認められた。明治5 (72) 年欧米諸国の商業事情を視察し,1873年大倉組商会を設立して貿易に進出,同商会が後年の財閥形成の中核となった。そして台湾征伐,西南戦争,日清・日露両戦争と相次ぐ戦争のたびに政府から軍用品の調達を命じられて巨利を得て発展,また満州における投資活動も積極的に推進した。晩年には東京電灯,帝国ホテル,札幌麦酒 (現サッポロビール) など数多くの会社の起業に参画し,財界巨頭の一人として活躍した。また大倉商業学校 (1900設立。現東京経済大学) や美術館大倉集古館 (17) の設立者でもある。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)

大倉喜八郎
おおくらきはちろう
(1837―1928)

政商的実業家。大倉財閥の創設者。越後国(えちごのくに)(新潟県)新発田(しばた)の名主の家に生まれる。18歳で江戸に出て、かつお節店の店員となる。1865年(慶応1)銃砲店を開業し、幕末、維新の動乱に乗じて販売を拡大した。維新後は欧米視察のうえ、1873年(明治6)大倉組商会を設立して貿易および用達事業に乗り出し、台湾出兵、西南戦争、日清戦争(にっしんせんそう)、日露戦争の軍需物資調達で巨利を得た。この間、大倉組商会は合名会社大倉組に改組され、大正期には大倉商事、大倉鉱業、大倉土木の3社を事業の中核とする大倉財閥の体制を確立していった。とくに中国大陸への事業進出に積極的で、中国軍閥との関係も深かった。また渋沢栄一と協力して東京商法会議所設立に尽力するなど財界活動にも力を入れ、東京電燈(でんとう)はじめ多数の会社の設立に関与した。大倉高等商業学校(現東京経済大学)や大倉集古館も設立している。

[中村青志]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

精選版 日本国語大辞典

おおくら‐きはちろう【大倉喜八郎】
実業家。越後に生まれ、幕末江戸で鉄砲店を開業。明治六年(一八七三)大倉組商会を設立。軍需品調達の御用商人として巨富を積み、大倉財閥を形成。天保八~昭和三年(一八三七‐一九二八

出典:精選版 日本国語大辞典
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

旺文社日本史事典 三訂版

大倉喜八郎
おおくらきはちろう
1837〜1928
明治・大正時代の実業家
越後(新潟県)の豪商出身。江戸に出て銃砲店大倉屋を開き,戊辰 (ぼしん) 戦争の際,官軍御用達をつとめ政商となる。以来軍需品御用達商人として戦争のたびに巨利を得,1893年合名会社大倉組に発展。1911年株式会社組織として大倉組(合名)を吸収し,大倉財閥を形成した。また日本最初の私立美術館としての大倉集古館,東京経済大学の前身の大倉高等商業学校を創設した。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
執筆者一覧(50音順)
金澤利明 竹内秀一 藤野雅己 牧内利之 真中幹夫
 
Copyright Obunsha Co.,Ltd. All Rights Reserved.
それぞれの項目は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

大倉喜八郎」の用語解説はコトバンクが提供しています。

大倉喜八郎の関連情報

他サービスで検索

(C)The Asahi Shimbun Company /VOYAGE MARKETING, Inc. All rights reserved.
No reproduction or republication without written permission.

アット・ニフティトップページへ アット・ニフティ会員に登録

ウェブサイトの利用について | 個人情報保護ポリシー
©NIFTY Corporation