●大喪【たいそう】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
大喪
たいそう
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デジタル大辞泉
たい‐そう〔‐サウ〕【大喪】
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たい‐も【大喪】
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世界大百科事典 第2版
たいそう【大喪】
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たいも【大喪】
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日本大百科全書(ニッポニカ)
大喪
たいそう
大行(たいこう)天皇(死後まだ諡(おくりな)の贈られない間の先代の天皇の称)、太皇太后、皇太后、皇后の喪葬を行うこと。一周年祭を終えて御霊代(みたましろ)を皇霊殿に奉遷するまでの諸儀をいうが、とくに葬儀当日の諸儀を大喪儀とよぶ。皇室服喪令(1909)では、その期間中、皇族および一般は喪に服し、また諒闇(りょうあん)とよぶ1年間の喪が定められていた。大行天皇、太皇太后、皇太后の大喪では、天皇が喪主となり、皇后の大喪では、皇太子または皇太孫が喪主となった。大喪に関する事務は、宮中に内閣総理大臣管下の大喪使が設置され管掌した。第二次世界大戦後、皇室服喪令は廃止され、皇室典範では、1949年(昭和24)の改正で、天皇が崩じたときに大喪の礼を行うことが定められた。しかし、大喪の語は天皇のみに限定されておらず、51年の貞明(ていめい)皇后の葬儀は大喪と称され、国民の服喪はなかったが、諸儀は国葬に準ずる大喪儀として行われて、天皇は1年間の喪に服した。なお、89年(平成1)2月24日、昭和天皇の大喪の礼が新宿御苑で行われた。
[村上重良]
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精選版 日本国語大辞典
たい‐そう ‥サウ【大喪】
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たい‐も【大喪】
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