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大学南校【だいがくなんこう】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

大学南校
だいがくなんこう
明治初期の政府所轄の洋学校。慶応4 (1868) 年江戸幕府の洋学校開成所を維新政府が接収して,開成学校の名で復興。明治2 (69) 年6月 15日に政府は同校と旧幕府の昌平黌,医学所を継承,合併して大学校とした。次いで同年 12月大学と改称。このとき,本校である昌平黌の南方 (現在の千代田区神田錦町3丁目) に位置した開成学校は大学南校と改められた。西洋学術文明を導入する中枢機関で,同3年2月に制定された「大学南校規則」によれば,法,理,文の3科をおき,教頭には開成学校時代からの G.フェルベックが,また教師にも多数の外人教師が任用された。生徒は 1000人を定員とし,正則,変則の2種を普通,専門の2級に分けた。同4年7月大学が廃止され,文部省新設によって名称も単に南校として独立,文部省の管轄となった。やがて東京開成学校となって専門学校に昇格,1877年には東京医学校と合併して東京大学となり,84年本郷に移った。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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デジタル大辞泉

だいがく‐なんこう〔‐ナンカウ〕【大学南校】
東京大学前身の一。幕末開成所を明治初年(1868)開成学校、そして大学南校と改称。洋学教育が行われた。明治10年(1877)東京医学校と合併して東京大学となった。

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世界大百科事典 第2版

だいがくなんこう【大学南校】
明治初期の官立洋学校。現在の東京大学法・理・文学部源流。1869年(明治2)6月,明治政府は旧江戸幕府直轄の高等教育機関昌平学校(昌平坂学問所)を大学とし,これに開成学校(開成所),医学校(医学所)の2校を分局として統合,同年12月開成学校を大学南校と改称した。これは本郷湯島にあった大学本校の南にあたる神田一ッ橋に位置していたためである。医学所は下谷御徒町にあり,〈大学東校〉と称した。〈普通学ヨリ専門学科に至ル其理ヲ究メ其技ヲ精フスル〉ことを教育目標としたが,実際には洋学を通じての普通教育を行うことが主であり,とくに英語,フランス語を中心とする語学教育,多数の外国人教師によるその訓練を行った。

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

だいがくなんこう【大学南校】

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日本大百科全書(ニッポニカ)

大学南校
だいがくなんこう
大学東校とともに東京大学の源流となった官立洋学校。1869年(明治2)明治新政府は旧幕府直轄学校の昌平学校(旧昌平黌(しょうへいこう)、現在の東京都文京区湯島1丁目)を大学校に改めると同時に、開成学校(旧種痘所→開成所)、医学校(旧種痘所)を再興し、それぞれを大学校の分局とした。同年大学校が大学(本校)と改称された際、大学の南方に位置する開成学校は大学南校、東方の医学校は大学東校と改称された。翌1870年大学(本校)が当分の間、閉鎖されるに及び、洋学系の大学南校と東校が近代大学の礎石を形成することになった。当初大学南校の学科は、伝習(語学)、講習(歴史、地理、究理、文典)、数学であったが、「大学南校規則」(1870)の制定により、普通、専門(法、理、文)の2科に大別されるようになった。学生募集にあたっては、各藩から優秀な青年(300余名)を推薦させる「貢進生制度」を採用し、それによって多くの人材を輩出するに至った。教員にはフルベッキをはじめとする外国人教師を多数雇うとともに、日本人教官や卒業生を海外に留学させるなど、西洋近代の学術導入に積極的な役割を演じた。
 1871年、大学を廃止して文部省が新設され、大学南校は単に南校と改称、72年「学制」の発布とともに第一大学区第一番中学となった。当初の教育内容は外国語による普通学が中心であったが、卒業生が出るに及び専門学を授ける上級の機関が必要となり、法学、理学、工業学、諸芸学、鉱山学の課程を置く専門学校に昇格した。校名も旧来の開成学校(1873)、さらには東京開成学校(1874)と改称を重ね、1877年、東京医学校(旧大学東校)と合併して東京大学の創設となった。[馬越 徹]
『『東京帝国大学五十年史 上冊』(1932・東京大学出版会) ▽『東京大学の百年・1877―1977』(1977・東京大学出版会) ▽『東京大学百年史・通史一』(1984・東京大学出版会)』

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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精選版 日本国語大辞典

だいがく‐なんこう ‥ナンカウ【大学南校】
(所在地神田一ツ橋が本校所在地のお茶の水から南西の方角に当たるところから) 東京大学の前身の一つ。江戸幕府が創立した開成所の後身の開成学校が明治二年(一八六九)に改称。同四年にさらに南校と改称された。同六年に東京開成学校となり、同一〇年に東京医学校と統合して東京大学となる。

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旺文社日本史事典 三訂版

大学南校
だいがくなんこう
開成所の後身。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
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