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大政翼賛会【たいせいよくさんかい】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

大政翼賛会
たいせいよくさんかい
1940年 10月に第2次近衛文麿内閣によって,新体制運動を推進するために創立された組織。これは近衛が中心になって進めてきた新体制樹立運動の結実であり,総力戦争を遂行するために一国一党制を実現させようとしていた軍に対し,国民各層の有力な分子を結集して軍に対抗できる強力な国民組織をつくろうとしたものであった。しかし,その成立とともに一国一党の形態はとられたにもかかわらず,近衛のおもわくをはずれて,政府に指導される公事結社として,道府県支部長は地方長官の兼任となり,行政補助機関のようなものとなった。東条英機内閣では国民統制組織としての色彩を強め,42年4月には翼賛選挙に協力し,6月にはそれまで各省の監督下にあった産業報国会,大日本婦人会などの諸国民組織運動を傘下に統合した。 45年6月に,鈴木貫太郎内閣のもとでの国民義勇隊創設に伴い,解体,吸収された。

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デジタル大辞泉

たいせいよくさん‐かい〔‐クワイ〕【大政翼賛会】
昭和15年(1940)近衛文麿(このえふみまろ)らが中心となり、新体制運動推進のために結成した官製組織。全政党が解散し、これに加わった。同20年6月、国民義勇隊へ発展的解消

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世界大百科事典 第2版

たいせいよくさんかい【大政翼賛会】
日中戦争および太平洋戦争期の官製国民統合団体。日中戦争の長期化にともない,権力による国民の画一的組織化と戦争体制への動員が緊急の課題となり,第2次近衛文麿内閣は1940年7月26日〈基本国策要綱〉を閣議で決定し,〈国防国家体制〉樹立の方針を確定した。そして新体制運動の結果,全政党が解散し,10月12日大政翼賛会が結成された。翼賛会は〈国防国家体制〉の政治的中心組織として位置づけられ,〈大政翼賛の臣道実践〉をスローガンに大政翼賛運動を推進した。

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

たいせいよくさんかい【大政翼賛会】
1940年(昭和15)10月、近衛文麿を中心とする新体制運動推進のために創立された組織。総裁には総理大臣が当たり、道府県支部長は知事が兼任するなど官製的な色彩が濃く、翼賛選挙に活動したのをはじめ、産業報国会・大日本婦人会・隣組などを傘下に収めて国民生活のすべてにわたって統制したが、45年国民義勇隊ができるに及んで解散した。

出典:三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)

大政翼賛会
たいせいよくさんかい
日中戦争および太平洋戦争期の官製国民統合団体。近衛文麿(このえふみまろ)を中心とする新体制運動の結果、1940年(昭和15)10月12日に結成された。翼賛会は経済新体制(統制会)、勤労新体制(大日本産業報国会)と並ぶ「高度国防国家体制」の政治的中心組織であり、大政翼賛運動の推進組織として位置づけられた。「大政翼賛の臣道実践」という観念的スローガンを掲げ、衆議は尽くすが最終決定は総裁が下すという、ナチスの指導者原理をまねた「衆議統裁」方式を運営原則とし、総裁は首相が兼任(歴代総裁は近衛、東条英機(ひでき)、小磯国昭(こいそくにあき)、鈴木貫太郎)し、事務総長有馬頼寧(ありまよりやす)以下の全役員はすべて総裁の指名によって任命され、中央本部に総務、組織、政策、企画、議会の五局と23部が置かれた。地方行政区域に対応して支部が設置され、各支部長の多くは知事および市町村長が任命され、中央と地方組織のそれぞれに協力会議が付置された。しかし、軍部、内務官僚、財界、既成政党など支配層各グループはそれぞれ異なる思惑をもっており、呉越同舟的組織であった。そのため翼賛会は、結成直後から主導権争いが絶えず、1941年2月には公事結社と認定されて政治活動を禁止され、さらに4月までの間に有馬らの近衛側近グループが退陣させられ、内務官僚と警察が主導権を握る行政補助機関となっていった。
 東条内閣は太平洋戦争の初戦の勝利の圧力を利用し、1942年4月翼賛選挙を実施して翼賛政治体制の確立を図るとともに、6月大日本産業報国会、農業報国連盟、商業報国会、日本海運報国団、大日本青少年団、大日本婦人会の官製国民運動六団体を翼賛会の傘下に収め、8月町内会と部落会に翼賛会の世話役(町内会長・部落会長兼任、約21万人)を、隣組に世話人(隣組長兼任、約154万人)を置くことを決定した。しかも町内会などの末端組織は生活必需品などの配給機構を兼ねており、全国民は日常生活まで内務官僚と警察の支配を受けることになった。ここに翼賛会体制=日本ファシズムの国民支配組織が確立し、憲兵支配の強化と相まって、治安対策的にはほとんど完璧(かんぺき)な権力支配が実現した。しかし本土決戦体制への移行に伴い、翼賛会は45年6月13日に解散し、国民義勇隊へ発展的解消を遂げた。[木坂順一郎]
『歴史学研究会編『太平洋戦争史3~5』(1972~73・青木書店) ▽升味準之輔著『日本政党史論 第七巻』(1980・東京大学出版会) ▽伊藤隆著『近衛新体制』(1983・中央公論社) ▽赤木須留喜著『近衛新体制と大政翼賛会』(1984・岩波書店)』

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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精選版 日本国語大辞典

たいせいよくさん‐かい ‥クヮイ【大政翼賛会】
昭和一五年(一九四〇)一〇月、第二次近衛内閣が新体制運動推進の名のもとに設立した戦時下国民統制の組織。全国に支部が作られて、その長は知事・市町村長が兼任。総選挙に推薦候補者を指定し、大日本産業報国会、大日本婦人会、部落会、町内会、隣組などを指揮下に入れた。同二〇年六月解散し国民義勇隊に再編。

出典:精選版 日本国語大辞典
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旺文社日本史事典 三訂版

大政翼賛会
たいせいよくさんかい
第二次世界大戦中の国民統制組織(1940〜45)
第2次近衛文麿内閣の新体制運動にあたり,既成政党を吸収し,国民的政治力の結集をめざして計画され,内閣総理大臣を総裁とし,「臣道実践」を目的としたが,実際には政府への協力機関となる。のち大日本産業報国会・大日本婦人会・部落会町内会などを指導下に置き,国民統制の中核となった。'45年6月,国民義勇隊に統合され解散。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
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