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大村純忠【おおむらすみただ】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

大村純忠
おおむらすみただ
[生]天文2(1533).肥前,高来
[没]天正15(1587).5.18. 肥前,大村
安土桃山時代のキリシタン大名有馬清純次男。天文7 (1538) 年,大村純前 (すみさき) の養子。領内に入ってきたイエズス会宣教師と交渉をもち,永禄6 (63) 年受洗してバルトロメオと名のり,日本で最初のキリシタン大名となった。長崎を領内にもっていたことから南蛮貿易,外国との交渉を積極的に行い,天正 10 (82) 年には大友,有馬氏とともに,ローマ教皇に少年遣欧使節を送った (→天正遣欧使節 ) 。純忠のキリスト教信仰は狂信的であるとして,領内の反発を招き,他氏との争いも絶えなかったが,同 15年秀吉に本領を安堵され,同年した。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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デジタル大辞泉

おおむら‐すみただ〔おほむら‐〕【大村純忠】
[1533~1587]戦国時代の武将。日本初のキリシタン大名。洗礼名バルトロメヨ。南蛮貿易中心の外交政策を行い、大友・有馬氏とともにローマ教皇に少年使節を派遣。→天正遣欧使節

出典:小学館
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

大村純忠 おおむら-すみただ
1533-1587 戦国-織豊時代の武将。
天文(てんぶん)2年生まれ。有馬晴純(はるずみ)の次男。大村純前(すみあき)の養子。天文19年大村家をつぐ。永禄(えいろく)6年に受洗,バルトロメウの洗礼名をうけ初のキリシタン大名となる。天正(てんしょう)8年長崎港周辺の土地をイエズス会に寄進,のち長崎が貿易港に発展する基礎をつくった。10年少年使節をローマに派遣した。天正15年4/5月18日死去。55歳。

出典:講談社
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版

おおむらすみただ【大村純忠】
1533‐87(天文2‐天正15)
肥前国大村を本拠とした戦国期の武将。入道して理専,キリシタンとしてドン・バルトロメオ。有馬晴純の子,大村純前(すみあき)の養嗣子。キリシタン大名として有名。1562年(永禄5)キリシタンに好意を示すことによって,ちょうど平戸でトラブルをおこしていたポルトガル船を領内横瀬浦に招致。63年受洗することによって,貿易上の結びつきをより強固なものとした。しかし同年大村氏出身の後藤貴明とそれに同調する純忠家臣に横瀬浦を襲われ,滞在していた純忠はかろうじて逃れたものの,横瀬浦は焼亡,領内も反乱軍と貴明にほとんど掌握された。

出典:株式会社平凡社
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日本大百科全書(ニッポニカ)

大村純忠
おおむらすみただ
(1533―1587)

戦国末期の大名。肥前高来(たかく)(長崎県)の領主有馬晴純(ありまはるずみ)(1483―1566)の次男として生まれ、1538年(天文7)大村(長崎県)の領主大村純前(すみさき)(?―1551)の養子となり、1550年家督を継ぐ。純前の実子貴明(たかあき)(1534―1583)は庶子であったため、武雄(たけお)(佐賀県)の後藤純明(ごとうすみあき)(?―1553)の養子となった。この相続事情は家臣団の分裂をきたす原因となった。1561年(永禄4)修道士ルイス・デ・アルメイダが領内の横瀬浦を訪れたのを機にキリスト教およびポルトガル貿易にひかれ、この地を開港場とし、当時日本布教の最高責任者であったコスメ・デ・トルレスを好遇し、1563年には受洗してバルトロメオと称した。キリシタン大名の最初である。以後、積極的に布教保護の方針を進め、反対派によって横瀬浦が焼打ちされると、1565年には福田港を開きポルトガル船の誘致に努め、1570年(元亀1)には長崎開港をみるに至り、やがて同地は伝道と貿易の中心地となった。1580年(天正8)には長崎周辺の土地をイエズス会に寄進し、またバリニャーノの企画した少年遣欧使節を派遣したが、この間龍造寺(りゅうぞうじ)氏からの圧迫甚だしく、1584年以降一時完全に領主権を喪失するに至った。しかし、龍造寺隆信(たかのぶ)が有馬・島津の連合軍に敗れ戦死したため、その支配から解放された。やがて豊臣秀吉(とよとみひでよし)が島津氏征討のため九州に出陣すると、純忠は秀吉の下知に従い、これにより旧領を安堵(あんど)され、豊臣政権下の一大名となったが、この直前1587年5月25日(天正15年4月18日)没した。

[箭内健次 2018年3月19日]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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精選版 日本国語大辞典

おおむら‐すみただ【大村純忠】
戦国大名。日本最初のキリシタン大名。領内にキリシタン改宗を強制し、豊臣秀吉の伴天連追放令の一因をなす。長崎を開港して南蛮貿易を行ない、大友氏、有馬氏とともにローマ法王に使節を派遣。法名円通院理仙日融。洗礼名はバルトロメウ。天文二~天正一五年(一五三三‐八七

出典:精選版 日本国語大辞典
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旺文社日本史事典 三訂版

大村純忠
おおむらすみただ
1533〜87
戦国・安土桃山時代のキリシタン大名
有馬晴純の2男。肥前(長崎県)大村城主大村純前 (すみあき) の養子となる。1563年受洗し,わが国最初のキリシタン大名となった。教名バルトロメオ。'70年南蛮船に長崎を開港し,'80年には長崎・浦上などをイエズス会に寄進。'82年天正遣欧使節をローマに派遣した。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
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